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オタクである自分を認められたあの日まで #7

#7 夢を追いかける人を広めたい

2019年。私の人生における一つの時代が終わった。

それはBIGBANGメンバーの入隊。
ご存知の通り、韓国には兵役制度があり、BIGBANGレベルの世界的アーティストであっても、ある一定の年齢になると、軍隊に入隊する。2019年、世界中で華々しく活動していたBIGBANGにもその時が訪れたのだった。入隊に伴い、活動は休止。しばらくの間、教祖G-DRAGONにお目にかかることも、教祖の姿を拝むこともできなくなった。
同時に、それまでBIGBANGの活動を支えていたスタッフたちも、一旦解散!と号令がかかったかのような雰囲気になった。それこそBIGBANGと同時に軍隊に入隊する人もいたし、退社する人もいた。私が応援していたダンサーたちもYG ENTERTAINMENTの活動から離れてしまった。
8年間もの間、生活の中心となっていたものを一気に失ってしまったのだ。本当に「いつまでもいると思うな、推しと親」状態である。


ヴィジュアル系バンド以来のもぬけの殻となった私は別のK-POPアイドルを推し始める。日本国内のコンサートやサイン会、握手会等のイベントはもちろん、韓国現地のサイン会やイベントにも行くレベルで推していた。毎日メンバーが見るという公式の掲示板に書き込んだり、認知をもらうためにイベントに通ったり、サイン会や握手会を何周も回ったり、手っ取り早く認知をもらうために高価なプレゼントをあげたり。ヴィジュアル系バンドの時に培ったスキルで必死に頑張った。
しかしあの頃のように上手くいかなかった。もちろん推しとファンとの距離もあるが、何より自分にもう体力がなかった。御歳25歳。毎日激務をこなす傍らで、推し活に費やすだけのエネルギーやパワーが壊滅的になかった。ここにも熾烈なカースト争いはあったし、SNSでの嫌な駆け引きなんかもあった。こういうことにももう耐えられなかった。「若くない」ということを痛感し、私はここから離れた。


さて、どうする。教祖はいるが、今は不在だ。

そんな時に何気なく誘われて行ったモータースポーツの世界で衝撃的な出会いを果たした。この時の衝撃は以前記事にもまとめたことがある。(興味があれば、是非)


元々、家族がモータースポーツ好きなこともあり、自分にとっては幼少期から身近なスポーツではあった。だが、「速い車がぐるぐる走っているのを見るだけなのに、何が面白いのだろう?」と正直思っていた。しかし実際は、ただ「ぐるぐる走っている」わけじゃなかった。車を速く走らせるためには、たくさんの人の力が必要だということをこの時初めて知った。マシンをコース上でドライビングするドライバーはもちろん、ドライバーと共に戦略を立てる監督、戦略通りに戦うために必要なマシンを整備し、レース中も燃料やタイヤの整備をするチーフエンジニアとエンジニア、それぞれの力が不可欠なのである。たくさんの人の力が集まっているから、車は速く走れるのである。レースで走っているマシンはチームワークの結晶なのだ。


そんなモータースポーツの魅力と面白さを感じた私はあるドライバーと出会った。
四輪のドライバーが目指す最高峰のカテゴリーは言わずもがなF1である。F1で走るために、カートから始め、レーシングスクールに入り、各自動車メーカーの目に留まるような成績を残し、F4・F3・F2とステップアップすることを目指す。私が出会ったドライバーもこのロードマップの通り、たくさんの苦労を重ねながらF2で成績を残し、今度は次のステップに向かうべく、国内最高峰レースに参戦していた。

しかし、日本国内レースSUPER FORMULAへの参戦1年目、初戦となる1戦目は予選では1位となるも、決勝ではマシントラブルによりリタイヤとなってしまった。
F2で優勝をし、自信をつけ、「日本で結果を残す」という意気込みを持ち、このシリーズに参戦してきたその想いを予選の1位という成績で体現した矢先にマシンの故障という如何ともし難い理由でリタイヤ。血気盛んな若者の志をそう簡単に遂げさせてはくれないモータースポーツの世界の厳しさを感じた。

このリタイヤを目の当たりにした時、残念な気持ちと同時に、「勝ち」にこだわる彼の本気を感じた。リタイヤに対して、心の底から悔やみ、うちひしがれる姿は、心の底から優勝したい、勝ちたい、と思っていたことの表れである。勝ち気でハングリー精神のあるドライバーだと感じたのだ。

しかしそんな彼であっても、シーズン中はレースの難しさに打ちのめされていたこともあった。試合後のSNSでは落ち込む姿や心の叫びのような投稿があったのだ。ドライバーだって人間。常に前向きに頑張り続けられるわけではない。こうして落ち込んだり、気にしたり、悔しがったり、マイナスな気持ちを吐露する姿があってもいいのだ。

そんな一面がありながらも、

「勝ちたい」
「優勝したい」
「F1ドライバーになる」


そんな夢や目標を、熱い気持ちを、前面に出して、必死で目指している彼の未来を見届けたいという気持ちから、気づいたら彼を応援していた。新しい推しとの出会いだった。


一方で、彼が本気で戦う姿をもっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちも持つようになった。

前回の#6 夢を叶える人になりたかったで書いた通り、私には夢を叶える力がないと痛感していた。彼に出会うまでは、「なぜ自分にはその力がないのだろう」とコンプレックスのように思っていた。

しかし、自分にその力がなくても、その力がある人の魅力や努力を多くの人に伝えることはできる。まだ届いていない人たちに私が見たもの、感じたものを伝えて、もっともっと応援してくれる人を増やしたい、魅力を知ってほしい、という想いに切り替わったのだ。コンプレックスが昇華された瞬間だった。


推しのように夢を叶えることは私にはできない。
でも推しの夢の実現に向かって伴走することはできる。

「自分ができないことをやり遂げてほしい。」
そんな気持ちを推しに託していることになるかもしれないが、応援を通して、推しの夢に少しでも貢献することが私の夢になったのだ。

実はこの想いを抱いてから、このnoteをスタートした。今いろんな記事を書きながら、推しの夢に貢献できているとは思っていないが、少しでも推しの魅力を知ってくださる人が増えれば…という願いは変わっていない。





おけい

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