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松村北斗を見ていると、感性に相対するものについて考えてしまう

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感性に相対するものは何か。理性なのか、はたまた知性なのか。そんなことを常々考えさせてくる存在が私にはいる。



松村北斗という存在


「松村北斗」

この名前をここ半年くらいでよく目にするようになった。彼はジャニーズ事務所所属で2020年1月にCDデビューを果たしたSixTONESのメンバーだ。ジャニーズのアイドルでありながら、デビュー前から演技力が評価され、ここ最近はドラマに映画と、俳優としての活躍が注目されている。
斯くいう私も松村北斗を知ったのは中村倫也目当てで買ったシネマ系雑誌に幾度となく載っているのを目にしたのがきっかけだ。「松村北斗が出ると雑誌がすぐに売り切れるから…」と中村倫也ファンとして、最初はちょっと厄介に思いながらも、人気があることを痛感していた。
人間というのは不思議なもので、四六時中目に入るものには何故か興味が湧いてくる。整理できずに家の中に散らばっている雑誌の表紙にいる松村北斗がこちらをジーっと見てくる日々を過ごしているうちに、気付けば松村北斗の沼に誘われていた。毎日誘われるのだ。床に落ちている松村北斗、ベッドに置いてある松村北斗、机の上に置いている松村北斗、本棚に立てかけている松村北斗。写真の松村北斗、文字の松村北斗、全部が私に主張してくる。「こちらにどうぞ」と。人を洗脳しようと思ったら、こうやって刷り込みをすればいいんだろうなと頭の片隅で冷静に思いながらも私はその沼に頭から落ちていった。

沼に落ちて約4ヶ月。落ちてからは早い。とにかく松村北斗が出演するテレビや掲載される雑誌を徹底的にチェックし、過去の松村北斗についても遡る。ここに関してはどんな推しであってもハマった瞬間というのは古参のファンに憧れるし、もっと早く魅力に気付けなかった自分を悔やむ。まだ途中ではあるが、最近彼を知ったという事実を謙虚に受け止め、一生懸命情報を集めた。その結果、彼から感じるものがあった。


彼は他のジャニーズとは違う一線を画した魅力を持っている。アイドルらしからぬ、ジャニーズらしからぬ魅力がある。
私はこれまでアーティストやアイドルを何人も推してきた。そして感じるのは、感性が豊かであることは創作や表現、パフォーマンスに良い効果をもたらすということだ。最近ではジャニーズのアイドルも作詞や作曲、振付、コンサート演出等、創作活動をアイドル本人たちが行うことが増えている。そのため、そういった感性が発揮される機会や場面がある。

そんな機会に触れ、松村北斗を見ていると頭に浮かぶことがある。


それは「感性」に相対するものは何か?ということだ。



松村北斗の感性と、そして

松村北斗には感性を感じる瞬間がたくさんある。音楽のパフォーマンスや演技はもちろん、テレビやラジオ、SNS等の日頃の発信の中での言葉選び、そしてYouTube等で垣間見える私服のセンス。その全てから、他のメンバーとは異なる独特のセンス・感性をもっていることがひしひしと伝わる。
ただし、この感性が松村北斗の感覚的なものだけで作られているか?というと、そういうわけではない、それだけではないように思う。彼の思考に何かあるのではないか?と感じるのだ。

彼のインタビューやエッセイの中で彼の思考が垣間見えることがある。
ジャニーズという肩書きを持ち、舞台に立つ彼ではあるが、与えられたことに取り組むだけでなく、自分で思考し、価値や哲学を見出す人だと感じる。一つ一つを自分に問いかけ、自分なりの考えをちゃんと持つ人なのだ。それでいて自分の置かれている状況、やっていることを俯瞰し、全体観・自分の見方を見出している。

こういったことは彼の言葉の節々で感じるが、一番感じたのは映画『ライアー×ライアー』のインタビューでの言葉だ。


僕自身、その場その場で自分がどういるべきなのかということ、自分なりにその場の居方を考えて行動する、その発想がどこにでも通じていて。いろんな面があり、いろんな状況があるけど、思考の根本は同じですね。いろんなものが用意されている中で、あくまでその瞬間の作品のワン・パーツ。その場その場でいるのがすごく心地が良いので、そういう考え方になっているのかもしれません。
-『BARFOUT! MARCH 2021 Volume 306』


いろいろな考えがあるが、アーティストや俳優の中には、自分は整えられた舞台に立って、最高のパフォーマンスを作り出すことが仕事だと考える人もいるだろう。
だが、松村北斗は違うのだ。たとえ、作品の主演であっても、フォーカスを浴びるアイドルグループの一員であっても、自分は主役ではなく、あくまでそれぞれの作品の一部であると捉えているのだ。彼の中で主役に位置するのは常に作り出す作品そのものなのだ。その作品を構成するすべての全体観を自分なりに捉え、その中で自分はどう振る舞うことがその作品にとってベストなのかをちゃんと考えている。どこにどんな影響を及ぼしたいのか?及ぼすべきなのか?プラスに働きかけることを含め、彼には自分なりの価値観や哲学から導き出した意志があるのだ。


それを感じた彼の言葉がもう一つある。
先にも挙げた映画『ライアー×ライアー』の番宣で、監督の耶雲哉治さんと出演したラジオ番組での言葉だった。松村北斗が撮影現場で監督のことを「監督」ではなく、「耶雲さん」と名前で呼んでいたことに関する彼の考えについて話している。


なんかどうしても、なんか…その…あるじゃないですか…。照明部、音声部、俳優部とかいろいろ部で名前あるのに、なんかやっぱちょっと俳優部とそれ以外の部署の間の、この…軋轢というか…なんかちょっとあるなぁ…って思ってて。それすごい寂しい。なんか横並びなはずじゃないですか。(中略)それこそいろんな部がこう一緒に作ってるって思うと、なんかちょっとこう…なんか…俳優部だけ、まぁ…ね、たしかに僕もこの世界入る前って俳優さんのものってイメージがあったんですよ、ちょっと…作品って。でもなんかそうじゃないっていうのをやっぱ入ってからわかるじゃないですか。だからなんかそれこそ監督って呼ぶのも…なんか…いや、あってはいるけど…って想いがあって。
-『2021.02.11 TOKYO SPEAK EASY』


この言葉を聞いた時に、物事をフラットに捉えて、思考し、意志を持って物事に取り組む人なんだ、と感じた。正直、ジャニーズに限らずアイドルにここまで思考の片鱗が見える人がいるのか、と驚いた。音楽でも芝居でも、作品というものづくりを行う中で、自分が周囲に与える影響、与えられる影響、その両方を捉え、相乗効果を生み出すためにはどうすればよいのか?を考え、自分の意志で体現している。感覚的に捉える力が優れていることはもちろん、考えることが好きな人なんだろうと思う。そして考えるために必要な知識を得ることや、人の考えに触れることを大切にし、吸収して昇華している。

ここまで話してきたことは一言で言ってしまえば、「TPOに合わせるスキルが高い」ということなのかもしれないが、そのTPOの基準自体が誰かに言われたものやルールによるものではなく、自分で考えて作り出されているものなのではないだろうかと感じる。



冒頭に投げかけた、「感性」に相対するものは何か?ということ。
一般的に答えはいろいろあるが、松村北斗の場合は「思考」ではないかと思う。理性ではなく、直感的に印象を受け入れることと、受け入れたものを思考し、化学することによって、松村北斗の魅力は構築されている。

今回取り上げた松村北斗の言葉はお芝居に関するものであったが、もちろんSixTONESの活動の中でも垣間見える。有料コンテンツの話なので、多くは語らないが、先日YouTubeにUPされたMVに関する言葉からも松村北斗が音楽というものの在り方や表現について日頃から考えていることが見受けられた。そして松村北斗にとって、作品は作り手だけのものではなく、受け手の存在があって初めて完成されるものなんだとも感じる。


倫也さんもそうだが、松村北斗さんのように自分で感じ、思考し、化学することによって生まれる哲学を持つ人の表現は複雑で奥が深くて面白い。だから人の心を突き動かす。
だからこそ、これからも受け手として、松村北斗の作品・魅力を享受し、楽しみたい。
そして彼がアイドルとして、俳優として花開く理由を紐解いていきたい。

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おけい

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