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世渡り上手は一定数存在するが本質的市場価値はない

 僕は仕事を振るという行為を、間接的に行なう手法があると知っている。なぜ間接的と言ったのか、それは僕は新卒一年目で後輩がいないからだ。仕事は上司に振る事が出来る。上司に質問という名の仕事代行があるではないか。仕事をするにあたって調べる時間も、全て上司に丸投げすれば残りは手の運動である。だが調べ方を学び事を疎かにしてはならない。ここで述べておくが、僕は仕事を上司に振るといった行為はほぼ行なっていない。だが新入社員1ヶ月目の時は何もかもが分からなかったので丸投げしていた。考え方によっては一生丸投げし続けてもやっていけるだろう。組織にはそういった世渡り上手な人は存在する事が多いのではないだろうか。

 明後日、新入社員が来るそうだ。そこで僕は仕事を振る事を考えている。抱え込んでしまう優しい人は振る事が億劫らしい。だが、会社は馴れ合いではないと思っている。パワハラにならないように、仕事を振りすぎないことは大切だと思う。僕は仕事を教えるのが上手になって信頼関係を築くことから始めたい。仕事を教えない昭和のやり方はおかしい。事務作業は丁寧に教えて当然。失敗して学べというのはどうなんでしょう。マニュアルを作れば終わるような仕事は手の運動。考える分だけ時間の無駄。寿司職人の皿洗い3年とかと一緒で、実感のない仕事に満足しているうちは非生産的。社会はあくまで市場経済の上にある。世渡り上手は詐欺師。市場価値はどこに行っても通用する人材になること。

 まあ、仕事の事を帰宅後に考えるうちはまだまだ人生楽しめてないのかもしれない。さて、見て面白いこと考えよう。

 おつかれ様でした!!

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