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幸福になる為には、行動力と自己効力感が大切だと思う。社会不適合者の決意。

 GW休暇の中で、職場というコミニティを完全に忘れることができた。また、社交の場に行って色々なバックグラウンドを持った人と話した。そこで感じたのは、普段の職場より話しやすい人が多い。一緒にいて幸せを感じるのは、職場じゃないと確信した。それだけ職場の雰囲気、人間と会わないのだろう。気分を安定させるには、深く考えない事が大事だ。人生楽しんでいる人と関わった方が良い。職場は愚痴ばかりで、陰湿だ。パワハラと思う様な指導も多い。50〜70代が多く、尊敬できる上司はまだ居ない。こんな環境で成長できるはずがないと思った。楽しくない。この人間関係ストレスから解放される為には行動しかないのでは。年寄りの性格は今更変わらない。逃げよう。
 だがしかし、気の持ち様次第では、ストレスなく生きていけるだろうなんてことも最近分かってきた。しかし、何度も合わないと思うなら行動に移すべきだろう。何よりこんな性格の悪い人たちを当たり前と思いたくない。自分も他人に対して、自分に対しても思考が移るものだろう。
 この職種は肌に合わないとも思う。独立し、自由度の高い働き方をするこれは大学の時に決めた事だ。僕は雇われ側ではなく、反対側の世界線に行きたい。今は伝統工芸の職人をみてやってみたいと思い色々と調べている。収入は期待できない。生きていけない領域かもしれないが、ニッチな分野だけあって競争がなく、工夫次第では一攫千金も夢ではない。確かな腕と売る力を身に付ければ生きていけると信じている。何より、好きな事して生きていたい。今の仕事は、デスクに座りっぱなしで現場をこき使う仕事だ。別に自分は仲介者であって何も作れるわけでない。何を作りたいわけでもない。この仕事面白くないな。大量消費大量生産に問題視している。もうこれ以上便利になって幸せなのか?人間はもう自然に帰るべきではないか?十年も持たない消耗品より数百年持つ物を作りたい。こんなことを言い出したらサラリーマンとして会社で働けないだろう笑。
社会に適用できない理想主義者かも。常識や他人軸を気にせず、好きな事して生きて、食べて、寝て、友を大切に生きれば幸せと思えるような生き方をしたい。生まれてきて良かったと言って死にたい。競争思考から抜けよう。
 もう世間の目は怖くない。地元では優秀な大学を出たのにそんな仕事勿体無いとか、レールを外れるなとか、給料とか、仕事出来ているのにとか、結婚できないとか、親孝行とか、もう嫌になった。そんなの自分の気持ちとは関係ないんだけど。
 僕みたいな理想がはっきりしているタイプは、我慢できないんだよ。自分が満足できるなら何でもいいじゃないか、人は宇宙から見ればちっぽけだ、寿命も短い。死ぬ時に思いっきり行きたと思いたい。安定したサラリーマンなんか生きた心地しないな。落ちるところまで落ちて、そこからが生きるって事じゃないか。正社員は安泰で幸せなんて奴隷システムを作る為に、メディアが洗脳させたものだろう。人間そう簡単に死なない。それに日本は経済も自然も豊かだ。恥を捨てれば、大抵のことは乗り越えられる。
 次の仕事を決めて、もう一度退職交渉をする事にした。次の仕事は、安定を選ばない。変人丸出しで生きたい。自分が選んだ人生なら、きっと幸せだ。

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