めぐる世界での再会
空をめぐる夏の風は
窗のところにかえってきて
少しのためらいも感じさせずに
ぼくの部屋に入ってくる
しずかに近づいてきた風が
形を定めず 捉えどころのない
ぼくのこころを抱きしめ
なつかしげな言葉でささやく
色を失いながらも
においをとどめる記憶を……
そんなときなのだ
あの雨の日に刻まれた古傷が
小さく 小さく傷みだし
こころがしめつけられるのは……
そして とおく過ぎたかげに
追憶の眼ざしを向けさせる
しかし——風のうたう調べは
こころの全てを見とおし
冷たい追憶の鏡に
明るい思いでをも映しだす
そんな優しい風のなかには
亡くした面かげが宿っている
とおく 決して触れられない
君の存在が感じられるほどに……
あの雨の日にささげ
空の向こうに消え去った
ぼくの詩の願いを
君はかなえてくれたのだろうか?
たずねる時間さえくれずに
君の存在をのせた風は
どこかへでていってしまった
あとに希望のかけらをのこして!
2020年8月25日作
一言メモ
今作もソネット組詩の……と言いたいところですが、清々しいほどの自由詩です。制作時期はソネット組詩と同じですが、今作ではソネットという形式から外れて自由な形を採用しました。さて、詩の内容の方に目を向けてみましょう。今作もテーマとしては死んだものと遺されたものとなっているものの、「あとに希望のかけらをのこして!」という文言から別れを恰も克服しているようにも感じられます。一方で、「あの雨の日に刻まれた古傷が 小さく 小さく傷みだし」という文言もあり、別れを全く克服していない印象も受けます。どちらが正解かと言うと、どちらもあながち間違ってはいないというのが適切です。確かに「雨の日に刻まれた古傷」は全く癒えていないのですが、「優しい風」が「明るい思いで」を想起させるとともに、「亡くした面かげ」を感じさせてくれます。「優しい風」が引き起こすこの2つの感情が、「希望のかけら」を感じさせるというのがこの詩の結末です。従って、「刻まれた古傷」は「優しい風」を媒介として「希望のかけら」と合一してしまうというのがこの詩の特徴になります。傷つくということはそれだけ感情が溢れていることの証左でもあり、まさに表裏一体の関係になっていると言えるでしょう。この詩はそんなことを詠っています。ちなみに、作中の「ぼくの詩の願い」というものが何を指しているのか疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、これは「死せるニカに捧ぐる詩」という作品に答えが隠されています。本当は未だ note に上げる決心がついていなかったのですが、皆さんに今回の作品に対する理解を深めて頂きたいので、次々回辺りにこの作品を掲載したいと思います。
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