幸せになるためには
不幸比べ(著者の人生)
この本は著者の実体験から執筆している。
私の過去の話をするわけだが、とても気持ちが良いものではない。読みたくないのなら、ここは飛ばしてくれて構わない。
著者は過去の人生が『幸運』かといえば
そうではなかった。
幼少期
父と母は仲が悪く
母の実家で年の大半を過ごしていた。
保育園と小学校は不登校だった。
母は車の運転が苦手で父の家から離れた距離に
母の実家があった為に、“私”には友達と呼べる人間は一人もいなかった。
ずっと一人遊びをしていている
無口で感情を表に出さない笑わない子供に私は育った。
中学校も、たまに学校に顔を出すくらいの生活だったのだが、クラスのリーダーに目を付けられる。
目を付けられた理由は、いま思うとクラスで一人ぼっちでいる私はターゲットにしやすかったのだろう。
いじめの内容は、軽い暴力や暴言などだったが
『一人の世界』で生きてきた私には苦しかった。
父方の祖父に『いじめられてる事』を伝えると
祖父は『違う学校に転校しなさい。』と言われて転校をする。
だが、転校先でも同様に同じようにいじめれたが私は我慢して学校に行く
父が『転校先でも、いじめられたらお前にもいじめられる理由があるんだ。』と言われたのが
きっかけだった。
私は『私にいじめられる理由はない』と信じたかった。ここで私は自分と向き合う事から逃げたのである。
いじめられても耐えてきて
卒業した。だが高校でもいじめられる事になるのだが、高校の時のいじめは私の理解を越えていた。
『断髪式をやるぞ』と言われ体育館裏に連れてこられると、長かった髪の毛をバリカンで『ハート』や『モヒカン』に刈られて携帯の動画に録られ、色々な人に回されたり
強い力で殴られたり、裸の写真を撮影され、それを色々な人に回されるといういじめだった。
この頃から
『自分を遠くでみる傍観者になること』ができるようになる。悲しいとか苦しいとか感じなくなれた。
リストカットも無意識にしていたが誰も気がつこうとしてくれない傍観者の一人になれたのだった。
いじめながら高校を卒業すると
色々な職場を転々する。
その職場に問題はなかったのだが無気力で仕事に身が入らなかった。
ずっと頭の中で『許せない人』を『呪う』ことをしていた。
25歳の頃、精神が崩壊してしまい
病院で『統合失調症』と診断される。
3年間、薬の副作用で布団から起きれなくなる。
リハビリをして社会復帰をするが
仕事は長続きしなかった。
ずっと頭の中で『許せない人』を『呪う』ことをしていたのだ。
31歳まで同じような苦しい事がなんどもあった。不幸の連鎖から抜け切れなかった。
何度も生きることを辞めようとした。
だが、32歳に人生の転機が訪れてる。
障害を持つ人たちの集まりで、一人の初老の男性と出会う。
70代の男性はAさんという。
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