「好き」で「楽しい」事はきっと自分の活力になると信じて続けてみようではないか

「この年になると、年下も年上もあまり見た目で判断できなくなってきた。」と30歳なりたての旧友が言ってきた。
どう?わかる? と聞かれた。
私の解答は
「見た目が若いとかは、その人が精力的に活動しているかどうかによるのではないかぁ。お姉ちゃんと遊ぶのが好きな人・趣味にのめり込む人・家族といることでリフレッシュする人…。そんな人達こそ若く見られがちかなぁ。」
となった。

と、答えたは良いものの
じゃあ、趣味はある?
と聞かれた時に「うーん…」となってしまった。

そう、私は人に紹介できるような趣味はない。
それこそ冒頭に戻るが、私自身過去の写真を見返して「老けたな。」と感じていた。
つまり、自分が投げた言葉がそのままブーメランで返ってきた状況に面食らってしまったのだった。

過去に趣味を探そうとしたことはあった。
そして、そういうのは探そうとして趣味になるものではないと痛感した。
手を細やかに動かす事は好きだから、パッチワーク・刺繍・かぎ針編み・ドールハウス等を作っていたことがあった。作っているときは良いのだが、最終作品をどこに置くかという悩みが増えたので制作中止となった。
料理も好きなのだが、食べきれない量を生産する事になったことが度々起こり、必要量の食事の大切さを味わった。

結果、細々と続いているオンラインゲームが1番“趣味”と言えるものになっている。飽きたり、のめり込んだりしながらずーっと遊んでいる。
ただこれもずっと遊んでいるのにも、訳がある。
それはゲーム仲間などのコミュニティで遊ぶのが「好き」で「楽しい」と感じているからである。

「好き」で「楽しい」と感じたものこそ“趣味”になるのかと理解した…
そして、昔「好き」で「楽しく」恋愛小説やSF小説を書いていたのを
親にバレて笑われて、加えて友達に言ったら恥ずかしい思いをして
自暴自棄になって辞めた自分を思い出したのであった。

今、心境を告白しながら
自分の“趣味”を作ろうとしている。
もう笑われたり、恥ずかしめる人は周りにいないのだ。
心置きなく没頭しようではないか。

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