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心と身体/魂 っていう選り分け

9月に入りました!

8月noteが
ぽっかり抜けたオデコです。

とても楽しく暮らしています。

心より、身体より先に
魂を優先していたら
書き留める場所が
元通りになってきました。


元通りじゃないか!
場所も人も以前と同じだけど


私的には進化した感覚かな。


これまで此処を居所にしてきて
想いを綴ってきたことたちは
進化中の私が見直しても
あーそうだよ、そうじゃんって
きっと思えるし


自分へのメッセージを書きまくり
日に数回も読み直すことだけしか
出来なかったあの日のことも

泣きながら眠剤をハサミで
小分けにした、あの夜も

ただただ「かなしい」と言って
泣いていた私ひとりの部屋も

ぜんぶ私で、
私の心と身体と魂が
綯い交ぜになって
過ごしてきた・・・
そんな時期でした。

8月の収穫は、記事タイトルです。

小さいころ、母が祖母から聞いた話を
聞かせてくれたもののうちの1つが

「人間の身体は借り物」。

なんだかおまじないのような、
或いは
細胞に既にインされていたものを
言語化してもらった感慨のような

つまり、魂では理解していたんだけど
私自身(心と身体、って分けてみるよ)は
ふーん、そうなんだーって
聴いただけの記憶だった。


それが、
55歳8月を過ごすなかで
あーそうだよ、そうじゃんね!
ってゾーンに行き着くことが出来た
みたいだ。

この区分け(笑)は
素晴らしいと思っている!


どんな時にも使えて
納得が出来て
俯瞰もうまくこなせるし
もう、ヒト的万能薬じゃね?


そう思っています。


だから私は
これまでよりも、
「私、ありがとう」
「私、よくやったね」
と積極的に言ってあげています。


利他で長いことやってきた過去生が
あえて今世で利己を学ぶ・・という
私の生まれてきた星の位置から
詠まれた青写真のことも
なんか分かるなぁと思ったり。


利他を超えて(越えるではなく)
利己をね。


魂は集合体、集合意識!と
ハッとした瞬間が
世界陸上を会場で応援する
世界中のオーディエンスを
テレビ画面で見た時だった。


愛イコール魂でもある。


他者との関係性に
心を乱されるのは
当たり前だし
(魂を感じられるかどうかってこと)


愛する人と心も身体も満たされるのは
その人と魂の交歓がなされるから。


あと、誰かと自分を較べる事も
まじ意味がない事で

だって、
自分で選んできたんだもんねぇ。

だったら、自分で選んだ自分の
心と身体なのだからさ!


ご機嫌で楽しく過ごす方を
それこそ魂がワクワクする方向だけを
見て行ければ、いいだけやん?


魂はみんなに等しいものなんだから。
自分でどうこうするものじゃない。

だから、だから
何かうまくゆかない事が起きたとすれば
魂が「ちがうよ」って
教えてくれるんだ。


「魂磨き」という言葉は
きれいな響きだけど
心と身体を持つ者たちにとっては
じっさい残酷に映ることのほうが
多いのかもしれなかった。


まーそんな気づきのお蔭さまで
私はラクに回復中です。


ひとりぼっちのお部屋で選んでいた
コーディネートを身に着けて
出かける日もあれば

今日のように、昨日の出来事(嬉しい事なのだが)で
心と身体が疲れてしまったので
このお部屋でのびのびーって過ごしています。

この部屋は、
私の小さなお城に生まれ変わり

心と身体が元気になって
新しい日常が生まれる頃には

お城は、かならず拡大するのだ・・。


さぁ、9月が始まったよ!