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2016/12/25(クリスマス)の日記~兵馬俑、ゴーストに触れようとすること、マチルダ~

50年ぶりに札幌で雪が90センチも積ったとニュースは繰り返し報道した。残り充電1パーセントのスマホを閉じて、幼馴染の築2カ月の新居を出る。昨夜食べた、ポップコーンやスモークチーズの袋のゴミは後にして。跡を濁して立つ鳥みたいに白銀の世界を旅し始める。その鳥の気持ちとはなんだろうか。理解するには少し時間がかかりそうだ。


 外の世界では、数多くの自転車やバイク、車が生きたまま雪に埋もれていた。僕は大昔の中国を思い描いた。生きたまま埋められた大勢の人々を。後から調べてわかったが、この生きたまま埋められた人々は儒者で、始皇帝の怒りを買って見せしめに埋められたのだった。なお、この時僕は勘違いで兵馬俑を思い浮かべていた。これらは死後の世界で始皇帝を守るために副葬された人形である。
 まぁどちらにせよ、僕の目には、数多くの自転車やバイク、車を雪の中から掘り出している人々は、かつてそこにあった文明を発見しようと躍起になっている考古学者のように映った。
 掘り起こされる人形の気持ちを考える。消え去った文明の証明としてセカンドライフを始めた人形の気持ちは、なぜかは分からないけれど哀しく見えた。守りたい人の死後を守れたのだろうか。
 
 家への旅路を終えて、少しウトウト眠った後で買い物に出る。駅前で聖書を無料配布する団体を横目に、少し高めのサーロインステーキと赤ワインとミックスベジタブルを買う。自宅に戻り、狭いキッチンでサーロインステーキを焼きながらあの世界的ベストセラーのことを考える。そういえば彼も自己犠牲を説いた預言者だったなと思いだす。そして今日は彼の誕生日だ。
 「ハッピーバースデイ、そしてホワイトクリスマス。」と、好きな小説の一節を呟いた。長年の友人を祝うみたいに。それからウェルダンなサーロインステーキと、ミックスベジタブルを食し、赤ワインを飲んだ。


 1年の終わりというものにおいて、これまでの振り返りという作業はつき物である。「これまでに起こったこと」なんてものは幽霊みたいなもので。本当にあったかどうか疑わしくもある。ま、それはどうでもいいことで、やっぱり懐かしいものには触れていたいものである。ゴーストに触れようとすること。振り返りとはそういったことだ。
 思い入れのあることが終わった瞬間、それは思い出と化して各々のコレクションに加えられる。この1年はコレクション集めそのものだった。飾っておくほどの収納スペースも僕の部屋にはないので、ほんとに「選りすぐり」か「選り好み」によるコレクションだけしか今はもうないのだけど。

 振り返り作業を終えて思う。自立もできていないし、そのくせ自己完結する性格のうえに、犠牲愛もあんまり分からない。
 「そんなんじゃあねぇ、マチルダは救えないんだよ。」とどこからか渇いた笑いが聞こえた。
 
 じゃあ、来年こそは。
 僕はチョコケーキを冷蔵庫から出して、グラスにワインを注いだ。

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