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2016/6/21の日記~切り裂かれた妖精のはらわた、蝦夷梅雨、ストロベリームーン~

に溺れたミミズが、切り裂かれた妖精のはらわたのように膨れて死んでいるのを尻目に家路を歩いた。大学から家までの帰路が短すぎるので、わざと遠回りをして帰る。そういえば今日は何とかムーンだったけかな、と夜空を見上げても厚い雲に覆われて顔を見せてもくれない。スクリーンのように街に垂れ込んだ雲を、ストロベリー色に染めてその存在を匂わすだけだ。


 まったくよぉ、北海道には梅雨なんてなかったんじゃねぇのかよと悪態をついて、木陰で雨模様を窺っている雀に挨拶をした後(あれはたぶん雀だ。)、ちょっとセンチメンタルに宮崎の空を思い出した。ここと違って重低音を鳴らすのは巨大なトラックや車なんかじゃなく、ウシガエルか俺ぐらいのもので(俺の地声はとてつもなく低いのだ)。蝙蝠がカラスから夜における空の生態的地位を奪い去った、そんな大淀川沿いに君臨する空を思い出していた。高層ビルみたいな人工物に邪魔されることなく、僕の頭上で両手を広げて寝ている空を。

 蝦夷梅雨ってのがあるんじゃよ、と道行く老いた猫に諭される。はいはい、実に温度のないさっぱりとした梅雨でござんすね、と返事をした後で、故郷の梅雨の鬱陶しさとそれがミルクコーヒー色に濁らした大淀川を思い出す。雨が降っている間もそうだが、上がった後も最悪で、教室はサウナ状態だったし、自転車置き場は蚊でいっぱいだった。ボウフラから蚊への羽化シーンをたまたまテレビで見てひどくブルーな気持ちになったな。あれ、そういやあのとき使ってたお気に入りの大きい傘はこっちに連れてきたっけ? そろそろ帰るか。


 そうやって次から次へと脈絡もなく頭の中をセンチメンタルに彩っていた思い出も、たまりにたまった洗濯物を目の前に退場した。これまでの妖精やら雀や猫も、照れ隠しに雲の後ろに隠れていたストロベリームーンでさえも洗濯物という現実を前におとぎ話の世界へ帰る。

 ほんとに、まったくもってこの世界はどこまでいっても現実的なもんだと憤慨しながら僕は洗濯機にその現実を放り込む。この前マッキーペンと一緒に洗濯してしまい、いくつかの服は黒い小さな斑点を付けていた。なんか今までの細かい失敗かなんかを暗示しているみたいで嫌だな、この洗濯で消えてくれよと期待したが結局消えてはくれなかった。ちゃんとバイトの制服のポッケ確認しないからこうやってマッキーペンの黒インクが漏れ出たんだろ。君は大体において詰めが甘すぎるんだ。ほら、例えば卒論構想だってなんだかんだまだ終わってないだろ…。

 こんな現実的な教示に少し辟易してしまうのは、鬱々とした雨の日だからじゃないと思う。けど、雨の日だからじゃないのだとすると尚更、この取れない斑点にいろいろ言い訳してしまう。

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