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ひそひそ昔話-その10 歯列模型の獅子舞で、保健室の妖精の憂鬱を噛んだ-

もうすっかり外は秋めいてる。神武大祭ももうすぐあるみたいだ。校門や正面玄関にはイチョウの扇がたくさん落ちている。運動場もたくさん黄色に染まっているけれど、それよりはギンナンの臭いが鼻孔を刺激する。僕はこの臭いが酷く苦手だったし、給食にこれが出た時はゴミ箱に捨ててしまった。

学校探検と称してユウジと校舎中を回って遊ぶのが最近楽しい。昼休みのチャイムが鳴ると専ら2人で連れ立っている。小学校4年生にもなって今更学校の中を探検だなんておかしな話だけれど、ドッジボールや長縄をするよりはマシだし、有意義な時間の使い方だと思っていた。とはいえ先週の事件をきっかけにして粗方探検にも飽きてきたような気もしている。「体育館には地下室があって、洞窟に繋がっている」という学校七不思議のひとつを暴こうと、放課後の教室にたまたま残っていたタイキやアカリやトモミを誘って5人で体育館の倉庫に忍んだのだ。結論から言って、確かに地下室は存在した。歴代の卒業生のタイムカプセルがそこには保管されているだけのことで洞窟なんてものはどこにもなかった。たまたま通りがかった大出先生に見つかって、僕らは一目散に逃げたものの、タイキだけは捕まった。お尻を叩かれているタイキを後ろに僕らはランドセルもちゃんと背負わないまま逃げた。ごめんなタイキ。

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まぁ、それも先週のことだ。学校の七不思議の真実なんてつまらないものだったという落胆がまだ少し尾を引いていた。

それでも昼休みになると僕とユウジは探検を続け、最後には保健室にたどり着いた。もう探るべき遊び場所はここにしかないような気がして。保健室は学校の中でかなり異質な空間を有している。そこには何かがある。
そこではビジンな保健室の鷲田先生と、3人のジョシがテーブルを囲んでおしゃべりに笑ったり、本を読んでいたりした。オカッパ頭のヒラノさんとメガネ姿のクドウさんと、歯の矯正をしてるシイバさんだ。


平和な女子の花園への突然の訪問者に、あ、とシイバさんが矯正器具を鈍く煌めかせながら呟いた。何が「あ」だよ。僕は「あ」なんて名前じゃないぞ。そんな獣の牙みたいなのを引っ込めてくれよう。


「どうしたの? ケガでもしたの?」と鷲田先生。
ちがいます、ちょっと探検してて、遊びにきました、と2人で交互に告げる。
鷲田先生はやれやれという顔をした。「保健室はホントは遊び場じゃないのよ」
とはいえ、実状はこうして女子3人と遊んでいる。仕方なく新顔の男の子2人も保健室を遊び場とする特権を与えるしかないみたいだった。

思っていた通り、保健室は珍しいものの宝庫だった。聴診器や人体模型図のポスターや怪しげな茶色の薬品瓶、歯列模型…。迂闊に手を触れると先生に怒られそうなのでキョロキョロと首だけを廻していた。

「君たち、このまえ手つないで歩いてたでしょ? よっぽど仲いいんだね」とヒラノさんが突然耳打ちしてきた。僕は急に顔を赤くしてユウジを見た。ユウジは唇を歪めて首を横に振った。違うよ、そんなんじゃないから、と。前にも変なやつらだとコウタロウに揶揄われた。僕らにはそれぞれ小さい弟がいて、よく弟の手を引きながら遊んでいたものだから、仲のいいヤツとは手を繋ぐもんだとばっかり思っていた。ユウジのことは兄弟みたいに仲いいと思っていたから。でも、そういうのって普通のクラスメイトにはヘンに見えるらしい。まぁいいさ、君には僕らはヘンに映るかもしれない。断っておくが僕は隣のクラスの香椎さんのことが好きなんだ、実はね。ユウジは知ってるけど。

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3人は、言うなれば「保健室の住人」だった。あんまり教室のなかでも顔を見ない。朝のHRが終わるとよくどこかに消えていった。教室で目立たず、輪を作らず、ひっそりと息をしている。わずか60平米ほどの教室の中の誰も彼女らのことを気にしていなかった。彼女らも同じくらい僕らのことを気にしたくないようだった。
そんな彼女らが実は保健室で楽しくお喋りに華を咲かせている。どんな人たちなのかほとんど知らなかったけれど、これは意外な光景だった。
あ、でも僕はクドウさんのことは前から知っていた。3年生の時に同じ掃除場を担当していて、その頃の彼女はとても快活で、メガネもしていなくて、冗談を言うとケラケラ笑うような人だった。でもいつの日からかとても無口でおとなしい人になっていた。なぜなのかは誰も知らなかった。

そして、彼女の吐き出す沈黙はこの保健室においても、教室でのそれとほとんど変わらない密度を保っているみたいだった。

最初こそおかしな邂逅だったが、それからというもの、僕とユウジも学校のどことも切り離されたようなその空間に入り浸るようになった。
昼休みになると、保健室に赴き、4人に交じってペチャクチャ好き勝手に話す。弟のバカな話だとか、かいけつゾロリの続きだとか、今年の自由研究の自慢だったり、社会の先生のモノマネだったり。神武大祭だったり、好きな給食のメニューだったり。僕らは先生やヒラノさんやシイバさんを笑わすことに日を追うごとに熱中していった。もちろん、笑顔のないクドウさんのこともどうにか笑わそうと躍起だった。時には旬のお笑い芸人の漫才やコントを完コピして披露することもあった。3人はゲラゲラと笑ってくれた。クドウさんも読んでいる本から時々顔を上げ、ぎこちない表情をしてくれるようにはなった。

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その日は保健室の中のものを使って「物ボケ」をする日だった(保健室内のものを使うことを先生が特別に許可してくれた)。
僕とユウジは目くばせをして、シーツを被り、歯列模型を頭の上に持ってカチカチそれを閉じたり開いたりした。僕が前でユウジが後ろだ。ぴーひゃらぴーひゃらと笛や太鼓の音を口ずさみながら4人の周りを踊った。歯列模型をカチカチ鳴らしながら舞った。4人をそれぞれ噛んでまわった。もちろんクドウさんのことも噛んだ。獅子舞の噛みはご利益があるのだ。たぶん、きっと。
獅子舞踊りを終え、シーツを脱ぐと彼女らはケラケラと笑っていた。笑っていてくれていたように思う。思い出は美化されるというから、こんなにも年月が経ってしまった後で思い出す物語は事実とは異なるかもしれない。彼女らは、ほんとはもっとぎこちなく、もしかしたら憐みの表情さえそこに浮かべていたかもしれない。それでも、なんとなくクドウさんも含め彼女らが笑ってくれていたように思うのだ。昼下がりの狭い保健室にケラケラと響いた笑い声が今もどこかで、僕の鼓膜を震わすような気がするのだ。それからもしばらく保健室に僕とユウジは遊びに行っていたからやっぱり楽しかったのだろう。保健室の妖精達と獅子舞踊りのお話。めでたしめでたし…。

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それから15年近くの月日が経って僕らは各々別の道を歩み、変わってしまった。僕とユウジは学年が上がると別々のクラスになってあまり遊ばなくなり、中学校は同じだったがほとんど口を聞くこともなくなっていた。高校も大学も違うから随分と会っていない。不思議なものだ。

それで、同窓会で15年ぶりくらいにクドウさんたちに会ったんだ。彼女らはとても魅力的な一人の女性に成長しており、クラスメイトの輪の中で昔見たように快活に笑っていた。聞くところによればあの頃、とあることで彼女は心が塞ぎがちになってしまっていたらしい。保健室だけが学校の中で心の拠り所だったのだと。僕らが保健室で一緒に遊んでいたことはほとんど忘れかけていた。でも、話をしていくうちにだんだんと、ぼやけた輪郭を揺らがせながらも記憶は蘇ってきたようだ。僕もほとんど忘れてしまってはいたけれど、あることないこと脚色しながら思い出を補正していった。
彼女は言う。そんなこともあったかもしれない、いや、あったわ。なんて。そして快活に笑う。

その後こんな田舎にもオシャレなところがあるのだなと不思議に思いながらも入ったバーで、僕らは(あの頃のはみ出し者達は)、もう一度友達になった。カシスオレンジやハイボールやモヒートが置かれたテーブルを囲んでソファーに背を預け、互いの空白を埋めるように話をした。先生のモノマネをしたり、当時の日記を朗読し合ったり、あの頃の音楽の話をしたり。みんなでとても大きな声で笑った。素敵な夜だった。

1人年末の寒空にカチカチと歯を鳴らしながら僕は家路を歩いた。僕は獅子舞踊りなのだ。






※もちろんほんとは秘密の,、この素敵なエピソードで誰が誰なのか特定されたくないから仮名ですよ(^ ^)

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