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赤穂市の「坂越の船祭」に行ってきた!獅子舞は露払いだろうな♪

#先日の余談

10年ほど前から御神輿を担ぐ機会があって、今の住まいがある京都市太秦に引っ越して来たのは6年ほど前、、引っ越してから氏神様は何処だろうか、御神輿は担がれているんだろうかと周辺を散策したのが懐かしい。

氏神様は「木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)」というお宮さんで、聖徳太子や弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)が有名な「広隆寺」も自宅から同じぐらいの距離にあったりと流石は京都という印象である。そんな木嶋神社を調べる機会があって、いろいろ調べてみると秦始皇帝とか古墳時代や大和時代などの1400年以上前の史実となって、自宅から一番近い「大酒神社」が、赤穂市坂越にある「大避神社」に繋がっていくことがわかった。

赤穂といえば「忠臣蔵」というイメージが一般的なんだろうが、僕の場合、10年ほど前に「赤穂緞通」という絨毯の展示会に関わることがあったので、大酒神社で「赤穂」という文字を見つけた時の小さなご縁に笑みがこぼれた。


赤穂市坂越の大避神社の例祭(祭礼)「坂越の船祭」

少し前に「小さな灯台のある赤穂御崎」というエリアを散策する機会があったけれど、今回はJR赤穂線・播州赤穂駅の一つ手間にある坂越駅を降りた。千種川を渡って、古い港町の風情が残る街道「大道(だいどう)」を抜けると、穏やかな瀬戸内の海が広がる。正面には「坂越の船祭」でもっとも重要な場所である「生島(いくしま)」と呼ばれる神域が視界に入ってくる。

赤穂市は人口5万人弱の町で、坂越はその中心部から外れたエリア。近世だと北前船(大阪から北海道の物流、海上ルート)の寄港地としても発展したようだけど、その大避神社の祭神である「秦河勝」は古墳時代にも遡る。少し瀬戸内海を西に行くと御崎にある伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)も延喜式神名帳にもその名が記載されている古社でもあり、赤穂を「忠臣蔵」だけで語るにはとても薄っぺらいとも言える。


見どころ満載の船祭

坂越の船祭は、300年以上の歴史を持つとされている。祭神である「秦河勝」が没したとされる神域生島に建てられた御旅所まで、鼻高、獅子、頭人、雅楽、歌などの付き人とともに御霊を送り、そして再び神社へ還す神事(海上渡御である)。

北前船で栄えた廻船業とともに祭は発展し、戦後は氏子総出でご奉仕されている。規模感としては同じく氏子総出でご奉仕している太秦の木嶋神社の祭ぐらい微笑ましい雰囲気ではあるが、祭の構成要素は大避神社の社格が県社であったせいか見どころ満載である。

坂越の船祭は海の祭として国の重要無形民族文化財に指定、生島は特別天然記念物に指定、船団の木造和船は兵庫県の有形民族文化財に指定、坂越浦や北前船の寄港地・船主集落が日本遺産追加認定と、、いろいろ♪(ちなみに本年度、櫂伝馬船は新造!)

鼻高・猿田彦命(天狗なのか?):先頭・道案内人

獅子組:氏子の若い子ら(男の子も女の子も!)

獅子が首に掛けた鈴を鳴らし荒ぶれ舞っているその様は、穢を払っている役目に見える。(坂越の船祭には露払い役の剣鉾は見当たらない)

次々と人が入れ替わる基本は二人一組
入れ替わるタイミングで後ろから人が入った瞬間

大避神社の境内から階段を降りて生島に向かう
獅子組が奏でる横笛が獅子を操っているだ。たぶん!

大避大明神(秦河勝)の御霊が入った御神輿
地元の大学生が10人ほどで担いでいる(特に練らない♪)

櫂伝馬船が船祭のすべての船(12艘)を曳航する。その漕ぎ手たちが御神輿の練りのようにバタ板と呼ばれる足場板を使って、御霊を高揚させるように荒ぶれながら、バタ板を御神輿船に掛けてから御神輿を乗船させる。

日が沈む頃、生島の御旅所での祭事を終えて、かがり火に導かれ再び神社へ戻る。船から陸へ御神輿を戻す際も、行きと同じようにバタ板掛けの練が執り行われる。

この角度、ただの板を上がっていくのは正直驚いた。梯子じゃないし!

秦氏は能や雅楽などの芸能にも通じていることからか、特に獅子舞は素晴らしく、地元の若者が誇りをもって取り組んでいる姿は強く心に響いた。そして、御霊が本殿に移った後、荒ぶる獅子が名残を惜しむように舞っていたんだけれど、祭の余韻として良い収まりだった。

(つい最近、生まれて初めて獅子を担当したこともあって、いろいろ響くんだと思う。舞ってませんがー♪)

追記:「赤穂市伝統文化祭」というのが開催されているようで、そのポスターには「獅子どころ播磨の祭典」というコピーが添えられている!
坂越(大避神社)は、6つの獅子舞保存会「木生谷」「新田西部」「福浦本町東」「砂子」「木津」「大津」の何処かに属しているのだろうか・・


坂越浦、大道沿いの町並み

神輿船が生島に行っている間、坂越の船祭に来ている見物人はほうぼうに散っていく。

祭の出店は10軒もないので、おそらく一旦、氏子らは自宅に戻るんだろうか、坂越以外から来られている人は近くのお店で飲み食いしているようで、僕は大道沿いにある奥藤酒造で開催されていた「オカン食堂」でキツネうどん、いなり寿司、ビールをいただいた。おでんが美味しいと聞いて来たんだけどほとんど売り切れていた。(またの機会に!)

時間が余ったようになったので、坂越駅から大避神社に来る途中、石畳で整備された大道沿いの町並みに気になるお店が数軒あったので、ひとつずつ訪れることにした。

まずは、暖木と書いて「のんき」と呼ぶ喫茶はサイフォン式の珈琲が旨い。同じ方が営まれている紡木「つむぎ」には(失礼ながら田舎の漁港とはかけ離れる)キリッっとした雑貨が並ぶ。

そして、赤穂御崎のイタリアン「さくらぐみ」のスイーツ展開の「坂利太(サリータ)」のアラゴスタのソフトクリーム(塩)は酔い覚ましにちょうど良い感じであった。

正直、この町並みと各店舗のクオリティーは想定外で、祭の合間時間をどう過ごすかってことではなく、大道沿いのお店目的で坂越を訪れる価値はあるわ

#赤穂 #坂越 #船祭 #祭 #大避神社 #獅子舞 #播磨

僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。