放送大学の新年会に参加した
昨日、2024年1月25日、放送大学の新年会に参加した。
自給自足を目指し始めて四半世紀、
ほとんど世捨て人の引きこもりと言える生活をしていたので
料理店での25名ほどの宴会は、以前いつやったかの記憶がない。
それぐらい久しぶりの宴会だった。
定刻の3分前に着いた「土佐の國 二四万石」では、
20名弱が集まっていた。
私が着いてから、中居さんたちがカセットコンロに火をつけて鍋が暖まり始めた。
隣の席の人が対面の席の人と能登の話で盛り上がっていた。
漏れ聞くと、
対面の人は年末から能登の旅行に出かけ、
正月に地震に巻き込まれたようだ。
そして高知新聞にその体験談が大々的に報じられた有名人らしい。
私の20代前半に友人と能登を旅行し、
穴水で、可愛い女の子と知り合ったが、
後の連絡も取らず、
「淡い恋に終わったなあ」
とか思っていた。
定刻をちょっと過ぎた頃、
銀髪の西欧人らしき女性が席について、
司会が、開会した。
冒頭、能登の犠牲者に黙祷を捧げようとの音頭で、
皆が起立し、1分ほど黙祷した。
その後、司会は幹事を指名し乾杯の音頭を依頼した。
彼は例の能登から生きて帰ってきた人だ。
乾杯の前に、彼は体験のあらましを報告し、
コロナで、4年ぶりとなる新年会の乾杯の発声をした。
土佐では普通の「杯を返る=返盃」はなしという合意が取られた。
続いて、彼の正面の私の隣の人が大学の同窓会か何かの会長らしく、
彼が挨拶して、宴会は始まった。
乾杯の彼と会長と私で、
能登の地震の話に火がついた。
私は、
能登の地震は4000年ぶりだということです。日本列島は世界での有数の幾つもの大陸プレートがぶつかる場所です。
地震も断層もいつどこでも起きてもおかしくない。そこに原発を作るのは爆発時期のわからない爆弾を体に纏い付けているようなものです。
というような持論を展開しながら、会話に入っていった。
話は、能登のことは高知県の未来だという話になった。
南海トラフの地震は、能登の十倍以上の犠牲者を出すだろう。
そして、県民はほぼ何の準備もできていない。
そして一旦地震が起こると、
誰もが終戦直後の昭和の生活をしなければならない。
しかし現代人はほぼそれができない。
というのでは、全員が同感だった。
その話の流れで、私は地震が来ても生きられる自給自足に近いの自分の生活を紹介した。
途中は次号(機会があれば、)
宴半ばになって、最後の参加者が登場した。
彼は会社経営者で、放送大学では、
愛媛県と高知県の両方で受講しているようだ。
そしてこの日も彼は自家用ジェットで大阪から高知に来たらしい。
彼が登場したので、
全員が自己紹介をすることになり、
それが一巡した頃には
飲み放題の宴会は2時間の制限時間が近づき、
記念写真を撮って、解散となった。
私が期待していた二次会の声は誰からも出ず、それぞれが帰途に着いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?