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売上に悪影響な振る舞いをするお客さんにどう対処するか

お手伝いしている飲み屋さんにやってくるお客さんの話。売上低下やコスト増の意味で商売に支障をきたす振る舞いをする。どのように考えて対処するのがよいのだろうか。

ナイーブな内容とは承知しながら書いております。ご指摘はお手柔らかにお願いします。

客観的な出来事からどのように感じるか?

本題となる30歳半ばの男性について、客観的な事実を羅列する。

  • 独りで来店するのでカウンターへと案内するが、複数人用の席を好んで占拠する。

  • 席に着き、飲み屋なのにソフトドリンクだけを頼んで時間を過ごす。

  • 他のお客さんの話に割って入る。周囲の人をすっ飛ばして、一番遠くにいる人に話しかける。

  • スタッフに接客やお酒と無関係な同じ質問を何度もしつこく繰り返す。

  • 女性の生年月日を聞いて覚え、全員が聞こえるように大声で何度も言う。

  • 女性スタッフの退勤を待ち伏せてニヤニヤしながら観ている。

事実に対してどのような影響があるのか、店側の視点で列挙する。

  • 十数人しか入れないお店にて、ソフトドリンクだけの売り上げで1席が占有されるのは損害。まして複数人用の席となると、後から来る団体さんを逃すので、忙しい時間帯だと売上に影響する。

  • スタッフや他のお客さんが嫌な思いをして、足が遠のくことも同様で売り上げに影響する。

  • スタッフが呼び止められて手が止まる弊害もある。かと言って無視し続けるのも異様な印象を与える。

  • 待ち伏せや付きまといで、気味悪さを訴えて辞めてしまった人がいる。他の原因も重なったので「それだけが原因」とは言えないとしても、人手不足が叫ばれる飲食店においてスタッフが辞めると痛手である。

この情報だけを聞いてどのように感じるだろうか?一般的な感覚からすると、入店をご遠慮いただいても責められない気はする。

知的障碍者であった場合に結論は変わるか?

追加情報として、上に述べたお客さんが知的障碍者であった場合に、先ほどの判断は変わるだろうか?おそらく「それなら大目に見てあげろよ」に意見が変わる方もいると予想している。

内閣府のWebに掲載されている「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針」の中で、国際条約である「障害者の権利に関する条約」の第2条を引用しつつ、妨げてはならないことが述べられている。

政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使すること

障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針

「あらゆる分野」「全ての人権」との記載がある。公共交通機関のようなインフラ利用の権利が守られるのは当然ながら、嗜好と見なされるような飲み屋さん利用までも権利も含む。入店を断れば「不当な差別」となる。

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet.html

「差別の解消」で言うところの「差別」のイメージが人によって違いそうではあるので認識を合わせたい。以下の記事で紹介されている画像に注目してほしい。

辞書的に解釈すれば、左側の「平等」でさえあれば「差別の解消」を達成したことになる。

平等(びょうどう、英: equality)とは、偏りや差別が無く、みな等しいこと。

つまり、健常者も障碍者も区別なく「出禁ルール」を課して、従ってくれないことを理由に入店拒否にする運用であれば、辞書的には「差別がなく平等」を満たす。

しかし、先ほど挙げた内閣府の基本方針を読み進めると、「合理的配慮」をしないことも差別になると記載されている。

障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。

障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針

つまり、目指すのは右側画像「公平」に近そうである。

合理的配慮としてどこまで必要なの?

耳が不自由な方には、筆談でやり取りをしてお酒を楽しんでいただくような配慮は以前から取り組んできた。あくまで立ち飲みのお店だけど、足腰が悪く立ち続けるのがキツイ方には、椅子をお出しすることもある。

ただ、「車椅子のまま入れるようにしろ」と権利主張されても、通路の幅が無いので改築工事か移転しない限りは物理的に不可能ではある。店舗の経営を傾けるほどの出費は、流石に「合理的配慮」の範疇を超えるだろう。

権利とコストの綱引きで「合理的」が決まるだろうから、その線引きを紐解けば良さそうではある。内閣府の「障害を理由とする差別の解消の推進」に具体例が挙げられている。

ザっと眺めたけれど、今回のような知的障碍者が能動的に行為を仕掛けてくるケースは探しきれなかった。知的障碍と言っても程度は様々で、軽度な方が考慮から漏れる傾向はあるだろう。

合理的配慮の提供の例
・ゆっくりはっきりと話したり、コミュニケーションボードなどを用いたりして意思疎通を行う
・資料を簡潔な文章によって作成したり、文章にルビを付したりする
・実物、写真、絵などの視覚的に分かりやすいものを用いて説明する

合理的配慮等具体例データ集(合理的配慮サーチ) > 知的障害

何をされても耐えねばならないのだろうか。私は、健常者と同じく「迷惑なのでやめてください」と毅然と指摘した。ニヤニヤしながらオウム返ししてくるだけで梨の礫ではあった。入店拒否にはしていない。

知的障碍者と話し合う難しさ

合理的配慮に関しては、「話し合ったうえで、負担が重すぎない範囲で、別の方法をさがす」ことがリーフレットで述べられていた。「話し合い」に難があるのも、知的障碍特有の難しさだと感じている。

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet.html

魚屋さんに来て「肉をください」と頼むお客さんがいたら、「うちではありません」と肉屋さんに誘導する。同じく「自分を構って欲しい」のが願いであれば、立ち飲み屋ではなくキャバクラに誘導する方が需要と供給が合う。

話し合って通じる相手であればの話であり、それだけの判断力があれば最初からミスマッチは起こっていない。「うちにはミスマッチなのでお引き取り下さい」と伝えることは、不当な差別に当たるのだろうか。

拡大解釈すれば、「ひとときを過ごす」「おしゃべりを楽しむ」も立ち飲みの提供価値だから享受するのも権利だ!というのは一理ある。だけど「スマイル 0円」の単品注文みたいなもので、あくまでメイン商品に付随する付加価値だけを求めるのは傲慢でないか。

以上が私の考えであるが、彼とはそんな議論を交わすこともできない。

スムーズに「合理的配慮」ができるのも、「お酒を楽しみたい」と「お酒を楽しんでほしい」の方向が一致していればこそ。そこにミスマッチが起こるのも、知的障碍に特有の難しさだろう。

個人に負担が偏るのは妥当なの?

この投稿では、極力「迷惑」という表現を使わないようにしている。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n433/n433008.html

「迷惑」という言葉はとても慎重に使わないといけない言葉だ。たとえば、満員電車の中に車いす使用者が乗車しようとする。まわりの乗客にとってはそれは「迷惑」とうつるかもしれない。けれども、差別のない社会を目指すルールがつくられつつある今の社会では、それを公然と「迷惑」というのは許されない。

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

ざっとQ&Aサイトを眺めても、「迷惑だ」と投稿した人が袋叩きに非難されている。しかし、いくら表現に配慮したところで、売上低下や運用コスト増加は反論の余地が無い事実ではある。

社会のあるべき姿として、以下の内容は理解しているし、完全に同意している。論点となるべきは、誰がどのように負担を被るかであろう。

知的障害の人たちがどれだけゆとりをもって街に出かけていけるか、街で暮らしていけるか、それは社会の成熟度を示すものだとも思う。

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年8月号

負担の大きいため泣く泣く入店拒否する事態になったとして、小さなお店を非難するのは妥当だろうか?そうせざるを得ない状況を作った世の中の仕組みに問題はないだろうか?

資本主義に委ねるならば、「合理的配慮」を売上に転嫁できなければ普及しない。ESGの文脈でイメージUPに繋げて売上転嫁させる大企業はある。身近にある小さなお店で、価格転嫁により割高になっても志を買って店を選ぶだろうか?そう捉えれば非難の矛先は店だけではなく利用者にも向く。

社会主義の考えを取り入れるならば、「合理的配慮」によって増えた負担を補うような制度が不十分なせいで普及しないという考え方もできる。政治家ではなくても、税金の代わりに有志でお金を募って、個人に偏った負担を軽減する働きかけはできる。

非難コメントを寄せられる方がいらっしゃったら、コストとの綱引きを解決して社会を良くするために、具体的にどんな行動に移したのかを逆に聞きたい。非難するなら金を出せ。そうでないと絵に描いた餅ではないか。

知的障碍者と健常者を見分けにくい問題

この記事のお客さんについて、最初からお店側が知的障碍者と認識していた訳ではない。2年くらいは入店せず外からジトーっと観ていて、目が合うと去る人だと認識されていた。

たまたま私と面識があったので(後述)判明した。そうでなければ、何か目印がある訳でもないので、知的障碍者だと認識できていない可能性も高い。

別の入店者(お客ですらない)70代女性が、喧嘩ごしに「肉はないんか肉!」「他に何があるねん!」「食べるもんないから帰るわ!」と去っていった。去り際に店の備品を窃盗して帰った。普通に犯罪ではある。

外見からは何とも分からないのだけど、認知症か知的障碍者だと言われると納得はいく。裏付けはないので、ただの犯罪者という可能性もある。もし次に訪れたら入店を断る予定だが、障碍者だったと判明したら「合理的配慮の欠如による不当差別だ」と責められねばならないのか。

知的障碍の度合いがグラデーション的に分布しており、健常者との境界領域にある人ほど支援の網から漏れやすいことは「ケーキの切れない非行少年たち」でも述べられていた。

軽度の知的障碍としての配慮が必要なのか、単にクセが強いだけの人なのか、外見からは区別もつかない。どこまで配慮しなければならないのかも正直よく分からない。

私自身の気持ちの変化

30歳半ばの男性の話に戻る。私と彼はジムが同じなので面識があった。

飽きるほどに同じ質問「33年前は何をしていましたか?」を繰り返す。頑張って答えたところで気の利いた答えは返ってこず、しばらくすると同じ質問をする。それでも、害は無かったので、気が向いた時には話を返していた。

2年間は入店できなかったのに、入店する決心ができたのも、お店に私がいたからだろう。私と知り合いなので、スタッフに構ってもらえる。それが嬉しかったのか、度々お店に入店するようになった。

彼は、話し相手が欲しかったのかもしれない。お店側も、暇な時間帯であれば応対はしていた。社会の中で居場所が作れるのは望ましいと思う。だけど、現実的に店に害をもたらす出来事があった。

5店舗コラボでスタンプラリーを開催した。各店舗を訪れるとスタンプを押してもらえて、スタンプを集めると各店舗で45mLのお酒が振る舞われるという趣旨。お酒好きのための企画である。

例の男性は、ソフトドリンクで5店舗のスタンプを集めた。特典のお酒を要求したのに、手を付けずに帰っていった。他のお店は彼が知的障碍者とは知らないので、率直に「意味不明な迷惑客が巡っている」という連絡が回った。

「スタンプは来店してお酒を注文した方に限る」「特典の45mLは〇〇円以上を注文した方に限る」のようにルールの穴を塞げば対処はできる。が、お酒の世界をルールでガチガチに縛るのは「粋」ではない。

私がきっかけになって入店した客が、私の手伝っているお店に経済的な損失を負わせた。加えて、他のお店に「あのお店から迷惑客が来た」評価されるようになった。私は謝罪と共に弁解した。

自分が我慢すれば良いだけならばまだしも、お手伝いしているお店や、周囲のお店にも迷惑をかけてしまった。

指摘してもヘラヘラするだけで、弄ぶように目の前に現れて、怒られたことをオウム返しに繰り返す。指摘している自分も嫌になりはじめた。関わるのが良くなかったとさえ考え始めている。

この節は、店と関係ない個人的な内容ではある。でも、社会のために貢献しようと思っていた人でさえも、自分の身に降りかかると理想的な振舞いができない一例ではある。

もし非難されるならば、どのように振舞うのが正しかったのか教えて欲しい。

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