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些細な要望をすべて満たしても満足度には繋がらないかもしれない

顧客志向の取り組みとして、お客さんから意見をたくさんもらって、要望を叶えてゆくことは大変すばらしい。でも、やみくもコストをかけて要望を叶えても、満足度につながらないこともありそうという話。

「要求事項の明確化」は「言った通りする」のと違う

私は人間中心設計(HCD)を専門としている。もし「UXデザイン」や「デザイン思考」という言葉を聞いたことがある相手には「だいたい似たようなものだよ」と説明している。

乱暴な説明ながら、作り手の事情のせいで使う人が不便を被るのではなく、使う人(=人間)を中心に考えてデザインしようというよう世界観。わざわざ「UXデザイン」なんて言わなくても、デザイナーにとっては当然の話ではある。それを、ビジネス界隈の人でも出来るように体系化することで、従来はデザインの対象とされていなかった物事もデザインできるようになった。そんな私も、非デザイナーなのにデザインのお仕事をしている。

さて、そんなHCDのプロセスでは「利用状況の把握と明示」で情報収集した後、「要求事項の明確化」へと進む。ここで言う「要求事項の明確化」というのは、「お客さんの言った通りする」のとはまったく違う。これは凄く大事。

お客さんの要望は「○○を××に変えてほしい」のような解決策で言われることが多い。解決策をつくるには、巷にある解決策を熟知した上で絶妙のバランスで組み立てなければいけないのに、お客さんは自分の知っている範囲でしか解決策が言えない。だから、言った通りに叶えるのが最善な解決策であるとは限らない。そうでなく、「なぜそれを要望したのか?」を掘り下げてから、根本的な解決策を考えることが必要となる。言葉にしたこともない深層心理であることも多く、掘り下げるのは難しい。

些細なことを不満として挙げる背景

具体例は挙げにくいのだけど、インタビューやアンケートで低評価の理由として「そんな些細なこと気にする?」というようなものが挙げられたとする。人やお金をかければ改善できるとしたら、改善するべきなのか?どのように捉えればよいのだろう?

そんな不満の声を発するまでに、お客さんの頭の中では「感情→思考→行動」を経ている。些細な不満を言葉にする「行動」よりも先に「感情」が判断していると捉えている。坊主の袈裟が憎いみたいな話で、理由を付ける前に右脳が「気に入らない」と判断して、後から理由を探している。とりとめて挙げるような大きな欠点が見つからない場合は、些細な不満を挙げるのではないだろうか。

もちろん、都合よい解釈ばかりで不満点を放置していたら足元をすくわれることは気を付けなければならない。でも、それよりも重大な事が起きているかもしれない。些細な不満しか挙げられないくらいサービスの完成度は高いのに、上手く説明できないけど何か気に入らないという状況だとしたら、根本的なところで良くないのかもしれない。

手売りするのが好き

「だったらどうすればいいんだ?」という話。デザイン思考で「共感」が最初に来るみたく、相手のことを深く知って気持ちを推し量るしかない。よく知ってる家族なら「ほっといてよ」と言われても、言った通りに「ほっといた」ら関係が悪化することもあることが分かる。そのくらい、相手の自分のお客さんのことも深く理解しなければならない。

Webデータの分析や、大規模なアンケートも役には立つけれど、卓上でにらめっこしても親密にはなれない。大きな組織だと分業が進んで「現場に行く暇があったら手を動かせ」という話になるけれど、深層心理を感じるくらいお近づきになれるのは現場しかないし、そもそも私は現場が好きだ。時代が許せば店頭で自分たちのプロダクトを手渡ししてお客さんと触れることや、オンラインであっても生の声やニュアンスを聞くことを心掛けたい。

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