#0136 地域の在り方にもグラデーションを!:「消滅」という選択肢もあって良いのでは?
おはようございます。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
東京はここ最近、暖かくなったり寒くなったり、急に雨が降ったりと、天候が安定していないせいか、体調がイマイチです。
今日は風呂上がりにヤクルト1000を飲んでゆっくり寝ようと思います!
皆さんも体調管理、気をつけてください!
先日、「自治体の4割が消滅する可能性」との報道が出ました。
地域ネタにあまり関心がない方でも、目にしたり耳に入ってきたのではないでしょうか。
私はこうしたネタは大好物です。
朝イチからかじりついていたわけですが、SNSでは、「自治体を残さないと!守らないと!」「俺たちの町が消えてしまう!」というエモーショナルかつ「再興」一択なコメントが溢れていました。
様々な思いがあって良いと思います。
ですが、私は「再興」一択しかないということに違和感を憶えました。
この違和感には2つの背景があり、詳しくは後述しますが、地域の在り方は当該地域の抱える事情によって「再興」一択ではなく、「再編」「消滅」など様々な選択肢があって良いのではと思うのです。
仮に「再興」一択でこのまま進むとなると、消滅したいと考えている地域に対しても、無理に税金などのリソースを投下して存続させるということが考えられます。
供給制約・縮小社会において非効率なだけでなく、住民の意思を尊重していない、誰もが望まない状態になってしまう虞があります。
地方創生の文脈では「再興」「再編」を中心とした政策や戦略が溢れていて、「消滅」の政策・戦略には触れたことがありません。
私たちは様々な自由が認められている社会に生きています。
地域の在り方につてもグラデーションがあって良いのではないでしょうか。
まちを生き物に例えると、住民は細胞。
細胞が老いていくと生き物は老化し命も尽きていきていくのと同じように、まちという生き物の命をどのように捉え、そしてどのように看取るかを考えなくてはならないと思います。
今日は地域の将来の在り方について考えたことをシェアしたいと思います。
○違和感の背景:2つの出来事
先ほどの「再興」一択に対する違和感には2つの理由があります。
1つは1960年代から70年代にかけて北海道では抗うことなく多くの町が消えていったという事実があるのに、なぜ「再興」一択か。
2つ目は現代においても「消えていく」ことを望む地域があるという現実があるのに、なぜ「再興」一択か。
・消えていった炭鉱の町(1970年代)
北海道には人が住まなくなった町がたくさんありますが、そのうちの一つに雄別(旧阿寒町・現釧路市)という地域があります。
雄別炭鉱(現三菱マテリアル系列)の町として、17,000人が暮らしていましたが、閉山後、僅か1年で0人になりました。
炭鉱で働いていた人、その周辺で商売をしていた人が、雄別に留まるのではなく、道内外に再就職して去っていきました。
思い入れのある雄別を去ることに寂しさを憶える方々がたくさんいたと思いますが、経済が拡大している時代だったこともあるのでしょう。
まちを去る寂しさよりも、新天地への希望を持って去る(消滅)を選択したのだと思います。
ここでは深く触れませんが、興味・関心ある方は、阿寒町によってって!さんのnoteを是非ご覧ください!
・過疎の離島(2024年)
3月に志摩半島に家族旅行に出かけたときの出来事です。
志摩半島に真珠の養殖が盛んで、真珠の御木本の発祥の英虞湾があります。
そこでサンセットクルーズに乗船し、船長さんから英虞湾にたくさんある離島の暮らしについてお話をお聞きしました。
お店が1件もない島は当たり前。診療所もない。10人しか住んでいない島もある。ほぼ高齢者だけ。
移住を促す声や、移住者を迎え入れる提案もあったが、住民たちは口をそろえて「もう構わないで欲しい。静かに消えていくから」と仰っているそうです。
その話を聞いてハッとさせられました。
私たちはここでゆっくりと暮らしたいので、あまり騒がないで欲しい。人がいなくなれば集落もなくなる。いつかは終わりがあるのだから、静かに終わりにさせて。
私はそういう思いを感じました。
○「消滅」の選択肢を認めるということ
・雄別と離島から見えてくるもの
この2つの例は、時代背景が違います。
雄別の例は、1970年代で日本経済も好調だった時代。
比較的容易に再就職先もみつかり、次に希望が持てた時代です。
また、人口構成も生産年齢層が中心であったのではないかと推測します。高齢者は生産年齢の世代にくっついていくというというのもあったでしょう。
なので、雄別を何とか再興して残すというよりは、ここを去って新天地へ。
仕事のあるところへ移って生計を立てるという選択をし、1年で17,000人が0人になったのではないでしょうか。
合理的で自然な流れだと思います。
志摩半島の離島は、少子高齢化の進んだ2024年。島には高齢者しかおらず、余生をゆっくりと暮らしたいと考えている人が中心。
移住者を受け入れてマチを存続させるということも選択肢としてはありますが、住民の方々にとっては、それも負担。無理にそうしたリソースを投下されるよりも自然に消滅することが望ましい。
自然の流れに委ねたいと考えているのではないでしょうか。
・町の在り方と重なる死生観
私はこの地域の議論を通じて、地域の在り方と人間の死生観が似ていることに気付きました。
地域に絡む仕事をしていると、まちづくりって何だろうと、社会学的な切り口や都市計画的な切り口で考えたりするのですが、最終的には「まちは人が暮らすためにあるのだから、人工的に作るのではなく自然発生的に出来上がるもの」なのではと思うのです。
まちも生き物のようなもの。
人類の歴史のなかで数えきれないほどのまちが生まれて消えていっているはずです。
まずは、まちが消えるということは自然なことであると受け止めることが必要です。
そして、私はどのように死にたいか?という問いに対しては、「病院で死にたくない。家で死にたい。」と思っています。
これって、志摩半島の離島の住民の声と一緒ではないかと思うのです。
○人の死生観≒地域の在り方
・どのように最期を迎えたいか
仮に地域の在り方が「再興」一択としましょう。
それは、極端な言い方をすると、自然の成り行きでは住民がいなくなり消滅してしまう地域に税金などリソースを投入して存続させようとする試みです。
これを人に当てはめると、病院で管に繋がれて、、、
命は大切です。命を無駄にするなという声にも同意です。
ですが、いざ自分の最期を考えたとき、私は病院で管を巻かれて延命されるのは嫌だな。家でゆっくり死にたいと思います。
なので、地域(=まち・集落)が消滅するという選択肢も認めるべきではないでしょうか。
これは、安楽死を認めるなどという議論よりは、乗り越えやすい議論ではないかと思います。
・看取ることも必要
そして、まちを「看取る」ということも考えていく必要があるのではないかと思います。
看取るということはバトンを引き継いだ人が、その地域の記憶や恩などを心にとめ、語り継いでいくことです。
大切な人が亡くなっても、心の中で生きていると感じることがあると思うのですが、それと同じようなことだと思います。
私も母校である小学校が廃校になってしまい、校舎も何もなくなってしまいましたが、私の心の中にちゃんと残っています。
石碑や記念館などで記憶を残すこともそうですし、アーカイブ的にここに町があったことを残して、後世にも文化資本として活用できるようにすることも一つです。
こうした形で「消滅」の選択肢を取った先の政策・戦略を真面目に考えていかなくてはならない時期になるのではないでしょうか。
○グラデーションある地域づくり・国づくり
都会に住む私は地域が好きです。
多様な国土、文化を残したいと思っています。
ですが、それを一方的に主張して押し付けるのは、都会に住んでいる私のエゴではとも感じてしまいます。
主権は地域にあり、こちらの願望を押し付けてはならない。
そして、多様な選択肢を認めることでこそ、グラデーションのある地域づくり、国づくりができるのではないかと思います。
○おまけ:雄別の写真(筆者撮影)
最後に2009年6月に私が撮影した雄別の写真を幾つか掲載しますので、自然に還った町の雰囲気と盛者必衰を感じていただければと思います。
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