思い出の在処

数年前に冷蔵庫を買い替えた。
以前の冷蔵庫は、忘年会や新年会と言っては、数十人集まっていた頃に買ったもので、その後も食べ盛りを抱えた我が家でフル稼働してくれ、冷凍庫も冷蔵庫も庫内はいつもパンパンと言う状態が続いていた。ホント、ご苦労様でした。
ところが、家族が減っても長年の習慣と言うのはそうそう変えられないもので、買い出しに行くとついつい今まで通りの量を買い込んでしまう。消費が追い付いていかない。完全に買い過ぎ。わかっているんだけど…。

どうしたらいいんだろうとあれこれ考えているうちに、もしかしたら、私自身が冷蔵庫の隙間に不安を感じてしまっているんじゃないだろうかと思うようになった。不意に誰か来るかもしれない、夜の間に家族が食べてしまうかもしれない…。いやいや、もう誰も不意打ちで来ることはないから。お腹が空いて冷蔵庫を漁るような人間はもういないから。
それなのに、求められた時に「ない」と言いたくないっていう自分の気持ちだけが、ずっと残ってしまっている。状況は変わっているのに、気持ちだけが変わっていかない。置いて行かれた私の気持ち…。どうしたらいいんだろう…。
あれこれ悩んだ挙句、冷蔵庫そのものを変えることにした。気持ちなんていう目に見えないものに頼るより、形という目に見えるもにを変えればいいんだ。そう可視化。サイズを小さくすれば、少しの買い物で庫内はすぐに一杯になるはず。
買い物の量を把握するのには少し時間がかかったけれど、結果的にはこれが正解だった。今はその冷蔵庫もパンパンになることはあまりない。人間何事も慣れなんだ。

これを皮切りに、少しずつモノを減らしていっている。手の付けやすい台所周りから始めて、家具も数個手放した。実家は巣立った子供の納屋じゃない。とはいえ、家族のモノを勝手に処分するわけにもいかないので、開かれることのない本や弾かれることないギター、袖を通してもらえない服などにモヤモヤすることもあるけれど、そういうモノに関しての管理はしないことにした。所有者にも忘れ去られたモノをひたすら管理するなんていうおバカな役目はもう降りてもいいだろうと。ただ、最後の情け(?)で、年に一度ぐらい「〇〇はどうする?」と言う確認作業だけはしている。答えはたいてい「置いておいて」だけど。だから…置いている。(笑)

すぐ捨てる…
以前から家族に良く言われていた。断捨離なんて言葉が流行るずっと前から。使わないとなったら結構処分する。使わないものに思い入れなんてない。思い出の場所は、現実世界じゃなくて心の中でいいはず。

自分がいなくなった時に、見られたくないものは処分しておいた方がいいというのを聞いて、「それもありか!」と、昔の写真も全廃棄した。もとから写真が好きじゃないので、全員配布のような卒業アルバム類だけしかなかったけど。後に残った人間に始末の手間をかけないように、体力のあるうちに大きなものは処分しろっていう話も聞いた。これは1人暮らしなら可能だろうけれど、私の一存で処分できないものもあるし、テレビなんて冷蔵庫の後にサイズが大きくなってしまった…。(溜息)
まぁ、なかなか思うようには進まないけど、少しずつ。


捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ君に慣れにし我が身と思へば

 関係ないけど、「捨てる」で思い出した歌。上の句だけしか出てこなかった。和泉式部だったことも忘れてた。記憶もかなり断捨離しちゃったみたいだ…。(涙)


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