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お腸夫人・はじめての入院〜その4〜

絶食でワタクシが考えたこと


ステロイド静注点滴が始まって
あれよあれよと言う間に出血と下痢がおさまり
ワタクシ一体、何が原因で入院しているのでしょうか?
という位、元気になりました。

そして、腹痛が始まってから9日間の絶食期間を経て
やっと食事が出ることになりました。

最初は、重湯からでした。
久しぶりの食事に感動ひとしお。かと思いましたが
何しろ重湯が…

入っていきません。涙

お丼になみなみと注がれたそれの、何とも言えぬ、うまみの欠如。

おかずをペースト状にしたものは味が付いているので
スルスルと喉を通っていきますが
何しろ重湯が喉を通らない。
ごはんですよ。的なのりの佃煮が添えられていてもダメ。

看護師さんに
「重湯になる位よくよく噛みますので、何卒せめて5分粥を」とお願いし
ようやっと普通食に。

お昼まで重湯と、なにがしかのペーストだったのが
突然の

しかも2本!

揚げ物。エビフライ。極端!

この病院の治療方針として
潰瘍性大腸炎には一切の食事制限は無いそうなのですが
いきなり、大人の階段2段抜かし的な揚げ物には、さすがに驚きました。
そして食べて感動しました。

お…美味しい!

揚げ物、最高すぎませんか。と。

そして食事が摂れるようになってからは

朝ごはんが終われば、お昼はまだか。
お昼が終われば、夜ご飯まであと何時間。
夜ご飯を済ませたら、明日の朝ごはんまで長いぞ。と。
とにかく食べることが唯一の楽しみに。

そしてそれまでは痛みに耐える1分1秒が長く感じましたが
今度は、空腹に耐える1分1秒の長さに苦しみました。

その時、思い出しました。

ワタクシの父は20数年前、50歳で肝臓癌で亡くなりました。

癌が見つかった時は既に手遅れ。余命半年を告げられました。
治療としては、何も出来ることはありませんでしたが
お酒は禁止されていました。

その最期の時
ビールが大好きだった父が、キリンラガービールのCMを見て
喉をゴクリと鳴らした音
あの時の切ない顔を
ワタクシは今も、後悔と共に忘れることが出来ずにいます。

余命を伸ばすことが出来ないのなら
なぜあの時、一口飲ませてあげなかったのか。

その時、親は離婚しており、私と姉で父の看病をしていたので
「1日でも1秒でも長く生きていて欲しい」という愛情よりは
ワタクシがビールを飲ませたことで
父の体調が急変したり、寿命が短くなってしまった時の恐れが
それを許さなかったのだと思います。
願いを叶えてあげることと、それに伴う責任を
20歳そこそこのワタクシが負うことは出来ませんでした。

家族を看取ることもはじめだったし
自分自身が若過ぎて
最期の時に、自分だったらどうしたいか?ということに
思いを馳せることも出来なかったのです。

今なら、緩和ケアも充実していて
最期の時に、どうしたいかを言いやすい時代でもあります。

今、こうして大腸の病になり
病院食の重湯の不味さにさえ、我慢が出来ない自分と知ってからは
ワタクシが父の立場だったら、ビールを飲んでいるだろうと想像します。

例え、それによって、半年の寿命が1ヶ月縮んだとしても。

父が亡くなった年に、あと二年で追いつきます。
自分の人生があと二年で終わるとしたら…

叶いますなら、ワタクシが最期の時には
コロッケを口いっぱいに頬張って、ビールかハイボールで流し込みたい。

そうは言っても、その時には味覚が変わってしまったり
体調がすぐれず、食べられないかもしれません。

まして、病気ではなく
明日突然命を落とすことになるかもしれないのだから
今、元気な時に、好きなものを食べられる喜びを
存分に味わっていきたいと思います。


ところで、9日間も食べなかったら…


どれほど痩せているのかと思いました。
体重計に乗ってみて驚きました。

1kgしか痩せておりませんでした。

どうしよう。こんな絶食したら、めちゃ痩せちゃう💖
こう思うことで、激痛にも耐えられましたものを…。ヨヨヨ

待っていたのは、頬と胸だけ痩せこけた病人顔と
下半身だけは太いままの、ものすごいアンバランスな体型でした。

美味しいものを食べて喜び
程よく潤い、程よい肉付き。健康的な美しさを目指したいものです。


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