学校教育にコーチングを広めたい理由
こんにちは。
リクルートから高校教師を経て、プロコーチをしている越智友規と申します。
法人向けには経営層や管理職を相手に人材育成のお手伝いを、
個人向けには自己理解や自己実現のお手伝いを、
コーチングというコミュニケーションを活用して行っております。
コーチデビュー直後はSNSを学んでちょこっと発信しようとしていた時期もありましたが、不特定多数の方に「やれ○○でござる」と確信めいたことを伝えるスタイルにどうもしっくりこず、発信から離れておりました。
ところが、生きている間に何をやりたいのか自分なりに考え尽くしたところ
人が人の可能性を引き出し合う世界を実現したい
そのために学校教育にコーチング・コミュニケーションを広めたい
そんな思いがフツフツと湧いてきました。
そこで、その実現をしていく手段として思いを発信することにしました。
よっこいしょと重い腰をあげながらですが。
というわけで、前置きはさておき、
それをしようとする私は何者ぞということで自己紹介させていただきます。
なお、若干手抜きではありますが、
以前インタビューしてもらったものを掲載することで
自己紹介とさせていただきます。
それでは、よろしくお願いいたします。
―はじめに自己紹介をお願いします。
こんにちは。イクナビの越智友規です。イクナビとは「育成者応援ナビゲーター」の略称で、人材育成に関わる人々の力になりたいという思いから名づけました。「子どもたちが憧れるようなカッコいい大人をもっと社会に増やす」をミッションに、現在はコーチという仕事をしております。コーチングというコミュニケーションを通じて、企業や個人のお客様の目標達成や能力開発の支援を行っています。
大学卒業後、大きくは3つの仕事をしてきました。1つ目が民間で人材派遣の営業、2つ目が公立高校の教員、3つ目が現在のコーチです。「キャリアがユニークだね」とよく言われますが、私の中では人の成長に関わるという点でつながっていると感じています。
―なるほど。では、最初に人材派遣の営業を選択した経緯を教えてください。
学生時代から教員をやりたいと思っていました。ただ、社会に出る前の生徒を相手にするのなら、自分自身が実社会を経験しておくべきだと教育実習で実感しました。そこで、①あらゆる業界を広く見渡せること、②自分自身を早く成長させることができること、③イキイキと働く人が多いことの3つを軸に就職活動をしました。その結果、複数の内定をもらえたのが偶然にも人材派遣業界ばかりで、この業界に自分の適性があるのだろうと思い、その中で一番苦労しそうな会社に入社することを決めました。
―最も苦労しそうな会社というのはまた面白い視点ですね。どんな会社員生活だったのですか?
新人時代の上司からは「人の2倍働き、2倍成長せよ」と言われ、がむしゃらに働きました。当時はワークライフバランスという概念もなく、毎日終電まで馬車馬のように働く日々でした。電車内で睡魔に負けて終着点で起こされ、結局タクシーで帰宅するドジも何度かありました。
会社には優秀でエネルギッシュな人がたくさんいました。仕事でいくら努力しても「この人には敵わない」と思う猛者がゴロゴロいて、幾度となく挫折も味わいました。
みんな仕事も遊びも情熱的で、夜中まで働いた後に飲みに行き、朝までカラオケなんてことも度々。イベントや結婚式の余興があれば、仕事の合間を縫ってシナリオを考え、ダンスを練習し、オリジナル動画を作成するなど、全力で楽しむことを教わりました。大変なこともたくさんありましたが、同時に学びの多い刺激的な20代を過ごしました。
―充実した20代を過ごしながら、どうして再び教員を目指したのですか?
20代では求めていた自分の成長は感じられたものの、もっと人の成長に関わることができる場所で30代を過ごしたいと考えるようになりました。その結果、出てきた答えは学生時代にやりたかった「教育」でした。
と言うのも、私が仕事の中でやりがいを感じたのは、難しい顧客を攻略できた時でも売上目標が達成できた時でもなく、後輩育成に関わるときや派遣した方のキャリア相談にのっている時だったからです。
また、学校と社会では評価されるポイントが違うと感じたことも大きな動機となりました。学生時代の私の視野が狭かったということに尽きますが、割と真面目に学校生活を送った私だからこそ、社会に出てギャップに苦しんだ実感があります。実社会を見据えて学生生活をどう過ごすと良いのか、生徒と一緒に考えられる大人でありたいと思いました。
―キャリアの第2章がスタートですね。民間企業から公立学校への転職では、大きな変化や違いがあったのではないですか?
そうですね、たくさんありましたが、一番は純粋にやりがいを感じることができたことです。それまでの人材ビジネスも、モノではなく人を中心とした仕事でしたが、あくまでビジネスなので売上・利益に直結することが優先されます。一方で、学校教育の場合は「人の成長」をどこまでも追求できる点がとても魅力的でした。自分でも驚くほどアイデアが次々と湧き、行動も軽く、結果もついてくる。まさに天職でした。
ただ、労働環境や諸条件は我慢することもありました。それまでは都内の綺麗なオフィスで、周囲にはオシャレなレストランやお店も充実していました。ところが、最初に赴任した学校は駅からバスで25分の山の中。当時は一人一台パソコンも行き届いていなければ、トイレは和式という職場環境でした。年収も数百万単位で下がりました。それでも仕事のやりがいは条件に勝り、私は転職してよかったと心から思いました。
―教員時代で特に印象に残る思い出はありますか?
たくさんありますが、特に思い出深いエピソードが2つあります。
1つ目は、3年目で担任をしたグローバルクラスの生徒たちです。勉強は苦手だけど、とにかく元気いっぱいでパワフル。休み時間には(時には授業が始まっても)ノリノリの陽気な音楽に合わせて、誰かが歌って踊っていました。クラスの3分の1は親御さんのどちらかが外国籍で、いわゆる「日本の常識」を物差しにするとお互い苦しくなってしまう。
校則は無視するわ、授業は妨害するわ、注意したら反発するわで、担任としてとても頭を悩ませました。そのうちクラスで人間関係のトラブルが起こり、欠席続きで進級が危ぶまれる生徒が出始め、いよいよお手上げ状態になってしまいました。
それまでの私はクラス経営が得意だと自信がありましたが、それは過信だったと気付かされました。ところが当時は未熟な自分を認められず、担任がしっかりすればクラスは立て直せるはずだと理論武装して戦っていました。情けないことに生徒を信頼せず、他責して楽になろうとする自分がいました。しかし、それではますます生徒の心は離れていく。次第に教室に向かう足取りが重たくなっていきました。まさか自分がこんな目に遭うとは思ってもいませんでした。
そんなある日、進路学習の授業をしていた時です。流れを説明しようにもいつものように騒ぎ立てる生徒を見て、ふと一筋の涙が私の頬をツーッと流れ落ちました。自分でもエッと驚きましたが止められず、それをきっかけに悔し涙が嗚咽するほど溢れ出てきました。生徒たちは、私を泣く姿を見てよほど驚いたのでしょう、一瞬で教室が静かになりました。
―越智さんが泣く姿を見て生徒さんはビックリしたでしょうね。
あまりにも咄嗟のことで、私は言葉を用意していませんでした。「こんな状況は誰も望んでいなかったよね。私の力不足です。申し訳ない。」正確には覚えていませんが、出てきた言葉は強がる自分の奥底にある本心でした。
幸運なことに、生徒たちはそんな私の思いを受け止めてくれました。「私たちのことで先生が苦しんでいたなんて知らなかった。ごめんなさい」何人かの生徒は“交換ノート”にそう書いてくれました。翌日から、それまでの敵対関係が嘘のように協力関係へと変わりました。弱くてカッコ悪い自分を受け入れ、助けを素直に求めることで信頼関係が築かれていくことを学びました。
―お互いを理解し合うきっかけになったのですね。では、もう1つの思い出を教えてください。
2つ目は、若手教員を中心にプロジェクトチーム“be”を結成したことです(beにはありたい姿という意味が込められています)。ある若手のM先生と「なんかやりたいことはたくさんあるのに、毎日の業務で忙殺されるよね」という雑談から、教員のみんながどんな課題を感じているのか聞いてみようということになりました。
声をかけて集まった10人ほどに聞いた課題をホワイトボードに書き出すと、あっという間に20個以上並びました。そうして書き出したものの中から最初に着手したのは「廊下に掲示された卒業生の古い絵画を現役生の作品に変えること」でした。他にも、食事コーナーを有効な職員コミュニケーションの場とするべく、綺麗でオシャレな空間にリデザインするなど、身近な課題からコツコツと手をつけていきました。
そのうちベテランの先生も加わり、最終的には20人以上のチームになりました。翌年には、経済的な理由で予備校に通えない生徒のために「放課後予備校」を作り大学受験をサポートしました。校長からも活動を認められ、予算や施設利用の許可をもらいました。
それらのことを通じて一番の収穫は、若手の先生が成功体験を積めたことでした。硬直しがちで変化を好まない学校組織ではベテランの先生がNoと言えば、若手も「どうせやっても無駄」となりがちです。それが続くとモチベーションはダウンし、やがて「よくしよう」という発想さえ生まれなくなります。その点、望めば自分達で変化はつくり出せることを体験できたのは、非常に意味のあることだったと思います。管理職はじめ、面白がってくれる先生たちが多かったのは、今考えても恵まれていたなと感謝しています。
―話しぶりからもとても充実した様子が感じられますが、なぜ天職とまで感じていた教員を辞めようと思ったのですか?
そうですね…今度はもっと自分が成長したいと思ったからです。成長には「自分の成長」と「他人の成長」の2つがあると思っています。教員という仕事柄、他人の成長を支援することは十分に満たせました。一方で、自分の成長については満足しきれず、どこか焦りを感じていました。もちろん、私自身は教員としてまだまだ未熟ですし、仕事の取り組み方や意識の持ち方によって自分をさらに成長させることもできるとは思います。しかし、関わる世界があまりにもローカルで、次第にもどかしさを感じるようになりました。
それを痛切に感じたのは、大学の後輩の結婚式の時でした。同じテーブルにいる仲間と仕事の話になり、みんなやっていることや考えていることのスケールが大きいことに驚きました。馬鹿話に加え、当たり前にグローバルな視点で話をしている友人たちを見て、遅れを感じました。仕事で人の価値が決まるわけではないとは思いますが、「人は環境でつくられる」と思う中で、自分の理想とする環境はここで良いのか?と考えるようになりました。
加えて、生徒からの言葉も追い討ちをかけました。私は最初に就業支援の仕事をしたこともあって、キャリア教育に力を入れていました。ところが、複数の生徒から聞こえてくるのは「大人になりたくない。働きたくない」という言葉でした。最初の会社で仕事も遊びも全力で楽しむことを学んだからか、猛烈に勿体無いと思い、同時になぜこういう思考になるのか原因を考えました。
行き着いた仮説は「彼らの目の前の大人がイキイキしていない」でした。それは自分たち教員にもブーメランのように突き刺さりました。中には、前向きな人、教科指導力を磨き続ける人、休み返上で部活指導をする人など、先生たちの尽力には驚かされました。しかし、それを超えるほど職員室で感じ取れたのは、愚痴やため息や言い訳でした。一人一人は真面目で誠実な人が多いのですが、キャパを上回る業務量を前に疲弊している印象でした。余裕をなくせば人はギスギスし、嫌な仕事を人に押し付けるようになります。それは志を持った教員も例外ではありません。
子どもたちは目の前の大人から未来の自分を無意識に想像します。過度なストレスを抱えた大人の言葉や姿に魅力は感じません。だから、目の前の大人がイキイキと輝けば、子どもたちは勝手に憧れて真似したくなるのではないかと考えるようになりました。
―なるほど。それでいつ退職を決意されたのですか?
結婚式で久々に再会した大学の後輩が、私のモヤモヤする姿を見て「越智さん、新しいビジネスの立ち上げを一緒にやりませんか?」と誘ってくれたことが大きな転機でした。今のコーチングとは全く関係のない健康分野でした。実はその少し前に水面下で民間企業への転職活動を試みたこともあったのですが、想像以上に厳しい反応でした。大手企業での営業経験があっても、マネジメント実績や飛び抜けた専門スキルもなく門前払いでした。
それゆえに、可能性があるとしたら縁故入社か起業の二択でした。ところが、家族を抱えてひとりで起業するのはあまりにも無謀に感じました。そこへ起業経験のある後輩から誘われたことは、私にとって渡に船だったわけです。
ちょうど彼はタイで会社を経営していると聞いて、私は家族を連れてタイへ遊びに行きました。タイ語や英語を交えて様々な国籍の従業員と仕事を進める彼の姿は当時の私には輝いて見えました。忙しい合間を縫って、彼のビジネスパートナーや友人など国際舞台で活躍する日本人と食事する機会をつくってくれました。お会いして感じた共通点は、前向きで情熱的でいい目をしていることでした。愚痴や文句ではなく、夢や希望を語る魅力的な方々でした。この人たちのように自分もなりたい。素直にそう思えたのが一番大きかったかもしれません。
―そのタイでの出来事が決断に至る大きな機会となったわけですね。
はい。でも正直言うと、相当焦っていたと思います。年度途中で担任を放り出すことはできないため、退職するなら3月末だけ。約半年前には人事異動に関する申告期限がやってきます。慎重にビジネスプランを計画する時間もなく、もう半ば勢いで意向調書に「退職希望」と書いて提出しました。封筒に入った意向調書を二度見した管理職の驚きの顔を今も覚えています。公務員ということもあり99%の人は退職しませんからね。
―では、そこから健康分野の事業を進めたのですか?
はい。後輩に退職届を職場に提出したことを伝え、大慌てで起業準備に取り掛かりました。ところが、予想以上に何も決まっていないところからでした。そして案の定、資金繰りや採用など課題だらけ。今考えたら、よくその状況で決断したなと思います。その反面で、しっかり準備してからだと決断できなかったとも思います。ただ、本当に焦りは良くないことを学びました。
3人での共同ビジネスの予定でしたが、進めるうちに仲間の方向性もバラバラに感じました。途中から「これが自分のやりたいことなのか?」と疑念を抱きつつも、今更断れないので本心に蓋をして見ないようにしていました。「大丈夫。何とかするから」と妻には言っていましたが、家族にも自分にも嘘をつきながら進んでいたこの頃が一番辛かったです。
そんなある日、経営のイロハを教わろうと会社員時代の先輩を訪問した先で、若手経営者のUさんに言われました。「越智君、本当にそれやりたいの?」と。おそらく、私の話ぶりから本心を見抜いてそう聞いてくれたのだと思います。結局、そのUさんのシンプルだけど本質的な問いによって「やりたくない」という自分の本心を認めることができました。
私は仲間に自分の気持ちを正直に話して事業を白紙にしました。仲間には申し訳なさで胸がいっぱいでしたし、家族を持ちながら無職になったわけですが、なぜか心は晴れやかでした。ストレスはかかりましたが、勇気を出して言えた自分を褒めてあげたいです。何よりUさんには感謝しています。
後日談ですが、後輩は「誘っておいてなんですが、あの時まさか辞めるとは思いませんでした(笑)。でもあの頃の越智さんの顔は死んでいましたよ」と言われました。
―意外にも元々コーチとして起業予定ではなかったのですね。ではコーチングとの出会いは?
そうですね。ゼロに戻り、時間もあったので、その時に頭にふと浮かんだ人をざっと30人ほど紙に書き出しました。そして1人ずつ連絡して会いに行きました。
そのうちの1人に会社員時代の同期で現在はコーチをしているO君がいました。コーチングという言葉は聞いたことがありましたが、何をすることなのかは良くわかっていませんでした。四ツ谷かどこかのカフェで待ち合わせをして、ランチを食べながら数年ぶりに話をしました。私が「…というわけで無職になったんだ」と溜息混じりで経緯を伝えると、O君は「おめでとう〜!じゃあこれから何でもできるってことだね!」と屈託のない笑顔で明るく返してきました。まさかのリアクションに「何を無責任な!…」と思いながらも「でも確かにそうだな」と視点を切り替えて肩の力が抜けました。(後から考えれば既にコーチングの会話が始まっていたわけです)
O君からコーチングについて話を聞き終わる頃には「これだ!」と確信めいたものを感じました。うまく言葉で表せませんが、体温が1度上昇するくらい興奮していました。それが本格的なコーチングとの出会いです。
数日後にはスクールに申し込み、コーチングを学び始めました。学びながら感じたのは「新しい」と同時に「懐かしい」という感覚でした。細かいスキルは知らないものがたくさんありましたが、考え方やアプローチの仕方は普段自分が意識していることを言語化してくれている感じでした。「そうそう!やりたかったのはそういう会話!」と心の中で共感することが多かったのを覚えています。
―まさに運命的な出会いだったのですね!ではそこからコーチとしてキャリアの第3章がスタートしたのですね。
そうです。ただし、当たり前ですが最初からお客さんがいるはずもなく、食い繋ぐために別の仕事もしました。例えば、古巣の会社で電話営業のアルバイトも3ヶ月間行いました。ひたすら毎日企業へ100件以上電話してニーズ確認やアポ取りを行いました。社員のほとんどは年下で、支店長は顔馴染みの後輩でした。
37歳で大学生と肩を並べてアルバイトかよと心の中で突っ込む自分も正直いました。でもそれを堂々とやり切ったら面白いなと思う自分もいました。ですから、電話口のお客様にいくら無様に断られても、自分ができることは手を抜かずにやりきろうとコミットしました。
そうした姿勢を見てくれていたのか、支社長から「越智さんが学ぶコーチングを皆に共有してみませんか?」と言われてセミナーを開催する機会をいただき、そのうちの2名がお客様になってくれました。長くなるので割愛しますが、そんな過程を経て徐々に仕事を拡大してきました。
―コーチを仕事にされていかがですか?
控えめに言って最高です。本当にやりがいを感じています。コーチは人の可能性を最大化することが仕事だと思っています。ところが自分自身も含めて、人はまだまだ潜在能力を出し切っていないと感じています。自分を低く見積もっていたり、他人の評価が気になったり、過去の失敗(時には成功)体験が邪魔をして、可能性に蓋をしていたりもするでしょう。私はその蓋をとって可能性を解放したい。
もちろん綺麗事だけではうまくいかないこともあります。知識や経験が足りず深掘りしきれないテーマもあれば、今の自分では太刀打ちできない人と対峙することもあります。それでも、人生に真剣に向き合う人と本気で関われるのは、他に変え難い喜びだと感じています。
―これからどんなことに力を入れていきたいですか?
世の中にもっとコーチが増える手伝いをしたいと思っています。コーチングスキルが使えるだけではなく、自分自身の成長を楽しみ、人の可能性を解放することを喜びとするコーチング・マインドを持つ人が増えてほしいです。
特に、学校の先生がコーチ力を身につけたら、可能性に溢れる子どもたちを通じて、世の中が爆発的に変わるのではないかと妄想しています。語弊を恐れずに言えば、先生を選ぶ人はちょっと変態じゃないかと内心思っています。なぜなら、人の成長のために身を粉にして働ける人たちですから。志がないとなかなかできないことだと思います。
今は疲れてモチベーションが落ちている先生も、かつては熱い想いがあったはず。その熱い想いをもう一度復活させてほしいです。職場にコーチング・マインドを持つ人が溢れたら、多くの先生が息を吹き返すと思います。コーチングにはその力があると思うし、そのためにも学校の先生たちがコーチングを身につける機会をもっとつくりたい。今では全然足りないと思います。
実はビジネス仲間に相談すると「思いは素晴らしいけど、学校の先生への展開は難しいよ」と何度も言われました。確かに先生たちは忙しく、自己投資に時間を割けない現状も理解できます。
しかし、それだからこそ挑戦しがいがあるとも思います。時代の変化に合わせて教育も変わろうとしている今、生徒の主体性を伸ばし、個性を活かすためにはコーチングが有効だからです。私がコーチングを学んだ時に「これを身につけてもう一度あの子たちと関わりたい」と痛感しました。
現場経験を通じて、喜びも痛みも理解できる私だからこそ、先生たちの力になれるのではないかと勝手に使命感を持っています。
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