元芸人と元AV助監督の交換日記 #4 (A先輩)

約5年。僕と祈が出会ってから今日に至るまでの年数である。お互いを取り巻く環境は、インディーズの音楽シーンが如く変化していったが、唯一変わらないことがある。それは、「お笑いについて真剣に語らない」である。何故か。それは、僕が何事にも真剣に話をすることを苦手としているからである。
 この「交換日記」の体をなした文章のやりとりの目的にお笑いが回帰されているのであれば、祈のお笑いに対する知られざる思いに少しでも感化されたのであれば、僕は改めてお笑いに向き合わなければならない。また、頭を悩ます時間が増えてしまった。

 「将来の夢は何ですか。」
物心がついたころからこの質問に対する答えはただ一つだった。
「とんねるずになりたい。」

 とんねるずに憧れた僕にとって、お笑いとはエンターテイメントの集約に他ならない。もちろんその中には、暴力が、セクシャルが、衝動がある。だからこそ僕はネタでお笑いを発散させることが苦手だった。学生時代は、ネタを疎かにして飲み会を盛り上げることで全てを発散させた。遊びの中で全てを発散させた。その為、自分が俗に言う芸人であると思ったことはないし、芸人に執着していたわけでもなく、便宜上「芸人やってます。」と謳っていただけなのだ。(とは言え、芸能事務所に所属していたこともあり、ネタも作るし芸人としての活動はしていた。)
 たまたま性に合っていたものが、芸人であっただけで、ギターを弾ければミュージシャンに、映画に興味があれば映画監督を目指していたかもしれない。要するに、エンターテイメントを表現できる職業に就きたかっただけなのだ。恐らく、芸人にならなければそういう道を目指していただろう。

 今の時代、ネタで勝負ができない芸人に市場価値はなく、ファイティングポーズのとり方さえ分からない僕は、なすすべもなくボコボコにされたことは言うまでもない。さらに、前述でさんざん格好良いことを書いたにも拘らず、表現することを諦め会社員に落ち着いている今の自分は何とも惨めで涙が出る。

 約3年。『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終了して今日に至るまでの年数である。僕が憧れたお笑いの世界は3年前に崩れ去った。番組の終了に伴いとんねるずが新たな道を歩き出すと同時に、僕は就活の道を歩き始めた。いや、終活というべきか。当時の相方と解散した2か月後には会社員として勤務している用意周到ぶりである。だから、芸人をやめたときは何も思うことはなかった。レース中にゴールがなくなり、リタイアを余儀なくされたのだから思うことは何もあるまい。思うことさえ叶わなかった。


 さて、珍しくお笑いについて頭を悩まし、だらだらと書き連ねてしまった。交換日記と銘打っているのだから次回は祈に「日記」を書いて頂きたいものだが、当たり障りのない文章を書かれてしまっては僕の骨折り損になってしまう。そうだ、祈にはAVについて書いてもらおう。何を書くかは自由。存分に頭を悩ましたまえ。僕は「日記」を書くために「ネタ」を考えるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?