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お茶碗の大冒険

お茶碗をきっかけにおしゃべりをするという、きっと変だけどきっと面白いだろうコンテンツを趣味としてはじめました。
「あなたのお茶碗見せてください」と聞いてまわる3人目は、最近できた友達が登場です。

お茶碗をはじめることになった経緯はこちらから⇨ニトリのお茶碗が割れた


 もう友達ができるなんて瞬間はずいぶんと遠い昔の記憶でしかないと思っていた私が彼女と出会ったのは、昨年、長袖のシャツをさらりと着た夜のことだった。とある商店街の中にある沖縄料理店の店先に、知っている顔が見えたから、吸い込まれるようにして丸椅子に座った。その隣の角でソーメンタシヤーを待っているのが彼女だった。
話していたら同い年だとわかって、それだけでついつい古くからの友人な気がして
SNSのやりとりなんかも距離感がちょっとだけ近かった。そんなはじまりだった。

vol.3 ゆうかちゃん

 ふたりで会うというのが初めてだと気がついたのは、お茶碗を見せてもらう当日、待ち合わせまであと少し時間があるなあと思いながら外に出たときだった。
とても風がつめたくて、まだ紅葉を楽しめていないのに布団から出たくない気持ちが鮮明にやってきてしまった、と思った日だった。身を縮めて歩いたけれど背筋はしゃんと伸びていて、わくわくと同じくらいのどきどきを抱いていることに気がつく。
相手にお茶碗を持参してもらっておいて、わたしが緊張をするというのも変な話だ。お店の手前で「すぅっ」と息を吸った。

 指定された場所は私がなんとなく足を踏み入れたことのなかった居酒屋だ。彼女はなんとなくよく利用するらしくて、ここはお茶碗を出していてもみんなスルーしてくれそうだと言った。
たしかに、持ち込んだお茶碗を手に話すお客だなんて、店員さんからしたらふつう頭にはてなマークが浮かびそうだよな。

ガラガラとドアを開けると先にお店に着いていた彼女の姿が奥に見えた。やわらかい「おつかれ〜」の声にどこか安堵感をおぼえる。
あたたかいおしぼりを広げておまたせと言った私に、彼女は少し椅子を引きながら「ねぇねぇ、見て?」とちょうど自分のお腹のあたりに視線を向ける。
ドラえもんの4次元ポケットの位置にあるチャックをあけた。
「じゃーん」
ハーフジップジャケットのお腹のポケットから、唐突にお茶碗が顔を出す。
「アハハ!」
お茶碗を取り出すという行為の演出に思わず声を出して笑っていて、気がついたら緊張が緩んでいる。

どうやって持ってこようか迷ってカバンにもいろいろ入れてみたけどここに落ち着いたのと笑いながらお腹のお茶碗をさする光景は、なんとも不思議な愛おしさに包まれていた。

「小6から使っているね」
彼女のそのお茶碗は「真っ白だ」という印象がした。
素材が何かと言われてもすぐに答えられないけれど、厚みがあって、お茶碗ならではの回転したようななみなみ、パリーンとは割れなさそうな、でも食洗機にも負けないでいてくれるような、そんな印象の優しい温度のするお茶碗だと思った。

「小6のときにね、実家が引越したタイミングで新しくなって」
そこからずっと実家の食器棚にいるというそのお茶碗をすりすりと摩りながら話しをはじめる。
「小6の頃から身長も変わってないからね」
「手の大きさも変わってないってことだ?」
「そう、女の子の成長って感じだよね」

今は、親の転勤で実家が空き家にならないために一時的に戻っているのだと言った。
一人暮らしのときは一人暮らしのお茶碗を使っていたの、と言い、スマホの写真を遡り始めながら話を続ける。
「実家に戻るときに一人暮らしのものを全部手放したの。洗濯機とか冷蔵庫とかも誰かにあげたりとかして、炊飯器も手放したの。
そしたらさ、いざ帰ったら炊飯器がなくて」

他の家電は全てそのままなのに炊飯器だけがいなくなっていたらしい。

「どうもこだわりがあったらしいの母は、炊飯器に。」
「炊飯器だけ持って行ったんだ?じゃあゆうかちゃんはまた新しく買ったの?」
「2号炊きをみつけてね、ほんとに小さいの。美顔器くらい!」
美顔器だっていろんなサイズがあるでしょうと笑ったら彼女は両手でその炊飯器とは思えないほどの小さい姿をなぞりはじめた
「で、20分」
「20分?」
「すごくない!20分で炊けるの!帰ってきてお米洗ってセットしてテレビつけてメイク落としてってやってると炊きあがる。
めっちゃまめに炊かなきゃいけないけどね。」
ひと息で言い切るそれが「あっという間だ」という炊飯器の働きをばっちり体現していた。

家に帰ったらご飯を炊いて
炊きたてをお茶碗によそって食べる。
食べ終わったらそのお茶碗を洗って
そしたら食器棚に戻して。
彼女はとても生活をしていた。

「あった」スマホの画面をこちらに向ける。そこにはひとり暮らしだった頃のものらしい食卓の写真が映し出されていた。
「お茶碗の模範解答みたいな柄をしているね」
「ほんとだね、お茶碗の柄だね!こんなの使ってたか」
全く覚えてなかったよと笑いながら「家と共にお茶碗があるな」と言った。

はじめてのお茶碗が1代目、引っ越して2代目、一人暮らしの3代目を経て
いまは2代目に戻ってきた。

「お茶碗を使わない日はある?」
「朝はお米がいいから、パンより。和食がいい。炊き込みご飯が好きなんだよね。炊き込みとか、混ぜご飯とか、白ごはんは白ごはんで好きなんだけど味がついているごはんがすごい好きで」
ぜんぶ好きだけどさらに好きと伝えるための白ごはん説明にときめく。
彼女の話し方は言葉と言葉の距離が等しくて穏やかに波がそよぐ湖みたいだなと思いながら聞いた。

「でもこのお茶碗、少し小さめじゃない?」
「卵かけにするときはポケットをつくるよ」
そう言って手でご飯のシルエットをなぞる。
お茶漬けはお茶漬け用の器が別であること
オムライスを作る時にはこのお茶碗にチキンライスをキュッすること
米粒が残らなくてとぅるんと剥がれること
食べる量としてそのお茶碗がちょうどいいこと。
つるつるともさらさらとも言える質感のそのお茶碗の内側をふたりでじぃっと眺めて、様々なものを次々に入れ替えながら‘食べる’という話をした。

「弟とお父さんがめっちゃ食べるの。彼らはもうどんぶりだから、それに比べたら小さいと思っていたけど」
彼女はまた両手でお茶碗を包み込む。
「弟はカツ丼のどんぶりでお父さんはうどんみたいなどんぶり、母は茶碗サイズ」みんなそれぞれの‘食べる’に沿ったmy茶碗を持つ家族。
きっと、彼女の実家にはおおらかな時間が流れるのだろうとやわらかい気持ちが心に吹いた。

「自炊はする?」
「しぶしぶ」
「しぶしぶ?」
「料理は好きじゃないけど食べることは好きだからさ。これ食べたいって思う日あるじゃん。しぶしぶ。」
彼女はひたすらに「しぶしぶ」という言葉を使う。

「お昼用におにぎりをつくるときもこいつにいれてラップにえい!って」彼女はわたしの目の前でエアーでお茶碗にご飯をよそっている。
「じゃあ、ひとつ、大きなおにぎりにするんだ」
「そう、ちいさいの2個とかじゃない。わりと大きめおにぎりができあがるの」
目の前に大きめおにぎりを持つ彼女が現れた気がして、その姿がなんとも魅力的だった。
小さなおにぎりを片手に何か作業をするのではなくて、大きなおにぎりをほとんど両手に、食べる、という時間がそこには見える。

「お昼はいつも持って行くんだ?」
「前の職場は食堂があって、栄養のあるものがちゃんとおいしく出てくるからそれを食べていたけど、今は、しぶしぶだね」

でた!しぶしぶ!

‘食べる’というのは毎日のことだ。バランスとかコスパとか、自分で考えなくても勝手に考えてもらっている食堂という場所でとる昼食はたしかに合理的だ。
「自分で食べるものを全部選ぶとなると無茶な食べ方することもあるじゃん。気がついたら主食2個!とか選んじゃうときもある」
「わんぱくな食べ方もするの?」
「毎日はスーパーに行けないじゃん、行ける時に健康志向だと野菜をいっぱい買うのに、行けた時に悪い気持ちだとストロングゼロ!とかになっちゃう」
とても極端だけどとてもわかる。飲みたい!というプラスの気持ちではなくて「飲んでしまおう」という、しぶしぶを正当化するような瞬間も生活の中にはある。

いらいらすることがあるかと聞くと「ぜんぜんあるよ〜」と最近イラッとしたことを教えてくれた。
「イラッとしたあとの、対処法はたとえば?」
「誰かにネタにする!こんなやついてさって話すよ。“ヤバいやつカード”にして貯めて、いつかそれでデュエルしたいの」と目をきらきらさせた。
「市役所の窓口のタメ口でくるおじさんを召喚!とか」

なんと愉快な、いつも柔らかい彼女はイライラだって優しく楽しく昇華するんだな。

それからはどんなカードになったらいいかをひたすらしゃべった。
「遊戯王カードみたいにmyデッキを揃えたいね」
「ポケモンみたいに◯◯タイプとかにしてさ!」
「トランプでもいいね、それで大富豪をするのもいいかも!」

今日の指定場所が居酒屋でよかったなあと思った。吐き出すというのはとても大切で、このときのこういう時間みたいな
食べてしゃべって笑ったらリセットされるから、居酒屋という場所は、そういう、働く人の生活のためにあるのかもしれないなと、そっと思った。

 ゆうかちゃんはいま、本屋で働いていて、休みの日にも本屋をしている。
休みにまで本屋と聞くと、とてもたいそうな信念があったりするのかなと慄いていたけれど
彼女は「ビジョンは?とか聞かれるけれど全くなにもないの」とふわりと笑った。
3人で「本屋をやろう」になって、楽しくやってる延長線がいまなの、と。
目の前の楽しいをいつも追っていて「第一優先はずっと続けること」3人がそれぞれお互いに生活を営みながら、続けること。どうなりたいとかじゃないのだと。
「明日もまたやりたいな、が10年とか続いたらいいな」

 前の仕事からは逃げたわけじゃないけれど、それでも、今が楽しいぶん、前の仕事のときはマイナスな気持ちを引きずられていたという認識があって「辞めちゃった」という表現になるのかもしれない、と彼女は言った。
不本意な働き方と言うとニュアンスが違うけれど「わりきってやっていた」ところがあるからと。

「今は我慢してることある?」
「ないかも。いまの生活はないな、我慢」
前の仕事、食堂があったその職場での仕事のときは、人と向き合う労力を使う必要があったと話してくれた。でも仕事でその労力を使い切ってしまうことで「日常で友達や家族、近くの人の話を聞く気力が残らなかったの。こっちの話の方が聞きたいと思ってもできなかったの」と言った。
「今は割きたい労力を割きたいところに割けるようになった」

それでもその仕事が嫌いだったわけではないらしい。
「50,60とか年齢を重ねて大人になって、自分が割くところがかわってきたら、またいつかその仕事をもう一度やるのもいいかなって気もする。」と彼女は言った。
食べることも働くことも、今のタイミングではないいつかにまた出会いたいと思うものってある。

「またやりたい」の気持ちが続くというのはとても稀有なこと。ラッキーの連続だ。
「もっとこうしたらよかった!次はこうしようまたやりたい!」という反省からくるものもあれば「とても楽しかったからまたやりたい!」という楽しい記憶から来るときもある。いずれにせよ、‘またやりたい’が持続するというのは、きっと大切にするべきものだね。

「もうすぐまた引っ越すの、だからこのお茶碗はお別れ」
引越しが彼女のお茶碗を買い替えるタイミングらしい。次は、お茶碗を探すということに初めて意識して取り組むから「new茶碗の旅だ」と言った。

「今日のこの日がなかったらきっと、この白い、熱伝導の高い、何も描いていない、いま私のポッケに入っているこの茶碗を思い出せることもなかったな。」外に持ち出したという思い出ができた2代目のお茶碗。

「このお茶碗は今日、はじめて地下鉄に乗ったんだ!お茶碗の大冒険だよ!」

帰り道、「今日はありがとう」と彼女が写真を送ってくれた。地下鉄のホームの待合椅子に、その2代目のお茶碗が座っている写真だった。
写真の中のお茶碗は、旅をさせられたかわいい子のような、凛々しさを纏っていた。


 

《今回のお茶碗の持ち主》
ゆうかちゃん
1993年生まれ
本が大好きで年間350冊以上の本を読む。
「幼少期から本のような‘ページをめくるもの’が好きだった」らしい。
病院の中で心のケアをする仕事を経験した後、現在は街の大きな本屋さんで働いている。休日には『美鶴堂』という名で本屋を開いたりイベントの運営に携わったり、エネルギッシュに動く人だ。
彼女がいるとどこか安心するのは、彼女の纏う芯のある柔らかいオーラと物事をまっすぐに捉える力、そしてそれを包み込んでくれる優しさのおかげだろう。

お茶碗トーク当日の様子などはInstagramに更新中
@ochawan_misete



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