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【虎に翼 感想】第41話 終戦



直道、戦死

第9週は、花江の慟哭から始まった。
昭和20年7月、直道、"南西諸島方面にて戦死” の報が入る。3月の東京大空襲で両親を亡くしている花江には、絶望的な知らせだ。登戸から息子の死を伝えに来た直言の表情にもためらいを感じられる。
戦争中、兵士は、どの隊にいてどの場所にいるのかは、家族にも知らせてはいけなかった。そのことは、前作『ブギウギ』で福来スズ子(趣里)が歌った『大空の弟』で表されている。だから死亡告知書にも、“南西諸島方面” としか書かれていない。

少し前に届いていた花江宛の手紙によると、直道は、炊事当番の任務に従事していた。
出征当時、直道は30才前後の年齢だったはずだ。召集された中では年齢は上のほうである。さらに、彼は近視である。出征が決まった時点で筆者が心配していたのは、眼鏡のことだった。徴兵検査では視力も調べられていた。眼鏡の直道では、前線で銃の照準を合わせることも難しそうだし、万が一、なくしてしまっては移動にも支障がでる。
もちろん正確なことは分からないが、後方支援の任務に就いていた理由として挙げてもよいかもしれない。
そもそも彼が徴兵された時点で、戦局は悪化していたということだ。

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よねとマスターはどうなったのだろうか……
疎開先から上野駅に着いた寅子は、カフェー「燈台」に立ち寄ったが、近くにいた人に、「そこのお店の人は、空襲で亡くなった」と伝えられた。
梅子も、涼子も、ヒャンスクも……皆、どうなったのであろうか……


子どもたちの成長

どんなときでも、子どもたちは成長する。直明も直人も直治も、今週から新キャストだ。
直明が無事に岡山から帰ってきてよかった。岡山も、昭和20年6月に大空襲に遭っている。

はるさんが「分かっています」と言った。直人と直治も「僕には分かるんだ」と言った。
はるさんから直道に引き継がれた言葉は、その子供たちにも引き継がれた。
二人の成長が、直言とはるさん、そして花江の生きる希望になることを、切に願う。


登戸での変化

登戸の家が無事でよかった。写真が残っていてよかった。だが、写真を見ると悲しさや不安がこみ上げてくる。だから寅子は、手提げかばんの中にしまったのだろうか。
時が経つと、大切な人であっても、どんな顔をしていたとか、その記憶はおぼろげになってしまう。花江、今は辛いけど、写真をまっすぐ見られるときが、必ず来るよ。

登戸の家に着いたときの、直言が明るく振舞っていたところが一番泣けた。
直言の会社は、軍の発注を受けて栄えていた。だから、終戦とともに仕事はなくなる。戦時中、会社には若い男性は既にいなかったが、それでも従業員がたくさんいて賑わっていた。今は全員暇を出されている。
終戦後、日本軍は、公文書や機密書類などを焼却処分した。だから直言も、軍から指示を受けて、誰にも手伝わせずに一人で書類を焼却していたと考えてもおかしくはないだろう。賑わっていた頃との落差が悲しく映っていた。


寅子のセンサー、再作動

直言とはるさんが、すっかり弱っている。敗戦に加えての息子直道の死は、やはり堪えられないことだ。
だから直明が進学せずに働くと言ったとき、直言は、「すまない、今の俺には、お前を大学に行かせる自信がない。その提案に甘えさせてくれ」と言い、はるさんも「ありがとう直明」と涙ぐむ。以前の先進的な考えを持っていた直言だったら、なんとしても自分と同じ帝大に進学させるはずだ。だが二人には、もうそれができなくなっていた。直言は食事中に咳込んでもいた。体調が心配で仕方がない。

そして……眠っていた寅子のセンサーが再び作動した!
ピコーン! ピコーン!!
しかし、本日はまだ「はて?」が出なかった。全盛期の寅子はまだ戻ってきていない。
終戦の時点で第9週の41話。5月の下旬である。展開が早すぎる。朝ドラのセオリーで考えれば、前半の3か月で終戦になるのがありがちなパターンだ。展開があまりにも早すぎる。
つまり、寅子には、まだまだやることがあるということだ。

「虎に翼」5/27より

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