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生きづらさは、日本人の定義が間違っていたのが原因だったかも

私は愛情いっぱいに育ったのに、常々生きづらさを感じていました。特に、困ったことないのに、どうして苦しいのかなと思っていました。

でも、日本の古代史に興味をもって、ネットで調べたり本を読んだりしたら、すごく生きやすくなりました。

だから、皆さんも、意外なことがきっかけで、生きづらさから脱却できますよ。

日本は単一民族国家だと思っていたけど、何千年も前から多様性があったのです。「日本人」の定義が、自分の中で広がって、「みんな違って、みんないい」のが日本人だと思えるようになりました。

自分にも、周りの日本人にも寛容になれました。そもそも、色々な民族が混じり合って、「日本文化」「日本人」「信州の文化」「信州人」をつくり上げてくれていたのです。

生きやすくなったきっかけの本がこちら。

古代の日本に住んでいた縄文系と弥生系(倭人系)にとっての聖地(のちの神社)の歴史や当時の人の信仰や暮らしについて考察した本です。

私の出身地である長野の神社は、縄文系神社(聖地)として諏訪大社、弥生系神社(聖地)として穂高神社が取り上げられていました。

そして、古代の諏訪エリアや安曇野・松本エリアには、3つの民族が存在したと書かれています。縄文人のモレア一族、弥生系のイズモ族、弥生系のアズミ族。

たった一冊の本の中の、諏訪大社と穂高神社の部分を読んだだけでも、3つも民族が出てくるのです。だから、現代の日本人が一人ひとり違った考えをもっていて当然で、それは尊重されていいものなのです。




さらに、それらの民族がどこから長野県に来たかについても考察がのっています。

まず、モレア族。「南方」と大まかに言っています。

そして、弥生系アズミ族は、北部九州からきた民族です。そのため、穂高神社のお祭りの山車は、山国信州にも関わらず船の形をしています。

もう一つの弥生系のイズモ族について

自分も、こういった民族が混じり合った人間なのだから、違う考え方の人がいるのは当然だと思えます。こういったことは、学校では直接的には学習しません。きっと外交面など諸事情があるのでしょう。でも、知りたい気持ちがあれば、ちゃんと知ることができ、自分や日本や長野が本当に好きになりました。

これを読んでくださっている方の中にも、生きづらさを感じている方がいらっしゃると思います。

過去数十年の歴史を見て、生きづらくならないでください。高度経済成長と失われた30年だけで、今を不幸と判断しないでください。もっと、長い目でみると、広い視野でみると、相当、あなたは幸せなんです。すごい人間なんです。




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