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日本人はもうすべてを管理しようとしなくてもいい。


最近は社会問題について

書くことが多いんですが

改めて思うことは


公的な機関が扱う事項が

多すぎるんだろうなぁ。


なんか国民全員の食事の

準備を一手に引き受けて


国民はただ、食事ができるのを

そして配膳されるのを

ただただ、待っているという。


自炊したっていいんですよ。

自分たちが食べるためなんでね。


自分たちが食べるものを

自家栽培して自分で調理したり

ご近所におすそ分けしたり

お返しにもらったりしてね。


当たり前の助け合いがもっとできる。

気兼ねない関係に、少し芯が入る。


なんで手あいてるのにずっと

配膳されるまで行儀よく黙って座って

待っていなくてはいけないのか。


任せてもらえば、配膳も手伝うし

協力して手分けしながらもっと早く

準備を効率良くできるでしょうし。


ちょっとたとえが遠すぎるか笑

でも社会的な課題の多くは

私たちが配膳されて食べていいよと

言われるのを待っているだけでは

追いつかなくなっている。


全員に渡るのを待てずに

泣き出す子どももいるでしょう?


みんなガマンして待てるのは

奇跡です。日本人ならでは笑

夢物語でもなく、現実的でもない。


なんでも権限をかざして

管理をしたがる者がいる。


彼らは法律で定められたからと

大義名分を掲げて自分たちに

権限をすべて集中させてきた。


しかしどうだろう?

いつもヘタこいてばかりだ。


静岡の行政のゴタゴタに

代表されるように

なんでもかんでも

彼らに決めてもらうよりは

民間で動くほうが早い。


あらかじめ決めておいて

その通りの手順にこだわる行政。


いくらヘタこいても

法律の守り神がついている。

しょうがないで済ます理不尽。


もうすべてを掌握して管理して

待っているあいだに犠牲が出るのは

重大な欠陥でしかないはずで。


それでも彼らの権限を

法治国家という理由で

配膳まで待たされるのは

明らかに違う、放置国家。


私たちのことなんだから

私たちが率先して協力する

そのチカラを利用すればいい。


ホントにただ

それだけなんです笑


妙なこだわりやプライド

理屈をこねて、ごねまくるけど。


マニュアルどおりにすべてを

管理できる時代ではない。


すべて上からの指示待ちを

植え付けられた弊害でしかない。


アドリブの利かない

利かせられないしくみを

いまだに維持しようとするのは

時代錯誤であり、言語道断。


もう緊急時はある程度

法律にも幅をあえて持たせて

臨機応変に自由に素早く

決断、実行できるように

明文化すべきでしょう。


それが一番効率よく全体を

助けることにつながるし

私たちに決定的に欠ける

自主性を獲得する道につながる。


やればできることをやれない。

やらせてもらえないしくみなど

この時代に、もう合うわけがない。


世界の中心になれないのは

こういう妙な縦割りを自ら

ただそうともできない

三流の権力者がのさばっても

誰からも責任を追及されないから。


配膳されるまで黙って

待ってるうちに死ぬ人も

いることを忘れてはならない。


細かく決めるのではなく正反対。

細かく決めずに広く動かせる

法律をつくり緊急時において


マンパワーを最大限に発揮

「させること」がリーダーの

一番の仕事だと肝に銘じてほしい。


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