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カッコ悪いと、かっこう悪い。


ちょっと違うと感じてます。

格好、恰好の意味の違いと別で。

ちょっと視点の違う話。


カッコ悪いはソトミというか。

外見や外形からわかるもの。


かっこう悪いってのは

もう少し年齢を重ねて

身につけているべきこと


それができていないと

オトナとして不足してる感。

同調圧力の部類以外のことで笑


若い頃はカッコ悪いのを

恥ずかしいと思うんですよ。


だから流行りのものを

本意でなくても周囲に

合わせたりするんです。


ただその流行を追いかけている

それが難しくなるのが

社会に出るとか環境が変わるとき。


だいぶ昔のオトナは若い頃は

カッコ悪いを気にしつつ徐々に

カッコ悪い自体を気にしなくなる。


長く生きてくると、若い自分を

脱ぎ捨てるかのように

次の段階に移っていったような。


幼児性からの脱却じゃないけど

落ち着くというイメージですね。


しかし現代のオトナはどうか?

意外に若い頃と変化なく

カッコ悪いをずっと引きずる。


オトナコドモというかね。

マンガやアニメは卒業するもの

それは「かっこう悪い」のだと。


周囲のオトナはそうして脱皮する。

それを見てきたはずですよね。


でも誰かがマンガやアニメを

オトナも楽しんでいいじゃないか!

って声高に叫び世間に伝わると


あっいいんだよね、やっぱり

みたいに、あえての脱皮をやめた。


オトナになっても楽しむこと。

いいじゃないか、好きなんだから。


そういうリクツで主張すると

同じように感じていた人は

同調して自分もそうしようと。

流れをつくってきた気がします。


おそらく50代あたりからかな?

今度はそれがみんなの常識になる。


ダサい、ダサくないではなくて

いいじゃないか!で押してきた結果。


これまでのオトナと違って

なんとなく風格が足りない気も。


だからなんとなく現代人は

オトナ論も定義が変わって

きたような気がしますね。


何が正しくて、正しくないか。

時代の要請でもありますが。


マンガやアニメに始まり

ゲームなども含めて

それらを補完するように

ネット、パソコン、スマホと。


取り巻く環境は変わり続け

楽しむをエンドレスにした。


ビジネスに繋げオトナとは

何かより、儲けたらなんでも。


そういう流れに私たちも

身を委ねてしまった気がします。


オトナにはオトナの

というリクツも古い常識に

変わってしまった。


だが過去のように脱ぎ捨てて

社会に責任あるオトナとして

適応していったら私たちは

もう少し世間のいろんな課題に

自分事として取り組めた気も。


遊んでばかりいないで勉強しろ

そう言われて育ったオトナが

マンガやアニメ、ゲームに興じる。


そんな我が子に見せる背中は

なんか誇らしげには思えない。

まぁ、個人の感想です笑





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