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新しいアイデアについて持論を突っ込んでみる。


新しいことをするときは

なかなかうまくいかない。


頭の中の描いたビジョンを

うまく説明できないから。


ワタクスもアイデアはある

けど、うまく説明つかない。


説明できなくても

ギリギリ気づいてもらえそうな

角度で毎回書いては、頭の中を

言葉にしてなんとか伝えてる。


たぶん説明が難しいから

新しいアイデアなんですよ。


うまく説明できるものは

誰かが既にやってる。

だって、説明できるんだから。


説明できるということは

既に整理されている事柄。


だまし絵みたいな感覚で

あるんだけど、見えてない。

見方に気づかない限り見えない。


すべての人に

一発で見えるのは

新しくもないこと。


新しいと思ってすぐに

実現ができるものは

結果的にはそれほど

新しいものでもない。


大抵の人が常識の範囲内で

善し悪しを考えていて

常識上で判断してしまう。


その常識から外れすぎると

違和感が強すぎて嫌われる。


だからこそみんな狙う。

ちょうどいい違和感を

感じるポイントを刺激し

後引きたくなるように。


誰かがやったことに

近ければ近いほど

既に存在するものの

バイアスによって即座に

否定されてしまうのだから。


すぐにわからなくても

印象に残りやすいことが

違和感から徐々に変わる。


そこが新しいルートになり

新しい道だと「見せられる」し

相手も「見てくれる」ようになる。


そういった自分のルートを

いかにして見せて、つくれるか。


振り切っていかないと

常識にからめとられて終わる。


新しいものとは

常識を大きく真逆に

針を振るくらいに

極端にしてみたほうがいい。


そこからギリギリ理解できる

領域にまでグラデーションして

整えていく感覚で。


極端に言えば、むしろ

常識を常時こなしながら

新しいことをやるほうが

ムリな場合が多い。


間違いなく共倒れか

中途半端なんです。

ほとんどはコレで詰んでしまう。


やりたいことやるなら

犠牲は付き物ですから

ちゃんとやろうと

しすぎないことだろう。


常時を捨てて非常識にやる

それをイイ角度で伝える。


当たり前に信じた

逆を突くから新鮮に映る。


ヘンなワクワクが

体の中で沸き上がるような。


人でもモノでも最初は

怪訝そうにしてしまうが。


常識からは考えられない

実現不可能だとも言いたがる。


人は常識のメガネを外せないから

不確かなものに対する反応に

戸惑っているだけのことが多い。


常識にとらわれがちなタイプが

新しいことをやるなんて

ムリだとも、必ずしも言えない。


あえて外して角度をつければ

誰だって変えられる余地はある。


そこを才能の有無で安易に

取捨してはダメなんだろう。


それも才能といえばそれまでだが

意識して、あえて逆に行けばいい。


ある意味、非常識な自分が

勝手に仕上がってくる。

ワタクスはそう信じているから。


非常識な自分は角度のついた

感覚を呼び覚ます。


だから無難を捨てる。

無難を捨てないと

無難のグラデーションが残り

常識にからめとられるから。


いかに意図的にでも常識を

排除するかがカギになる。

もちろん犯罪をのぞいて。


そのほどほどの違和感を

つかみにいくことによって

新しいものは新しいものとして

認識され評価されていくはずだ。


・・・という心の中の想像を

言葉にしてみました(笑)


なんの実証もない感覚。

でもその感覚にこそ

答えがあると思いますよ。













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