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エコの邪魔になるエゴ。


定期的にテレビメディアは

SDGsを啓発しようとする。


でも毎回、私たちに甘い。

激アマに提案してくるのだ。


私たちエンドユーザーができること

そこばかりでゴミは減らない。


リサイクルしたとしても

どうしても遠回りしすぎな気がする。

総量を減らさないと無理。


以前も書いたけれど物をつくる過程で

1から10まであるとすれば

日本はエンドユーザーである

消費者の10に提案しようとして

リサイクル意識を高めようと促す。


外国人が言う。日本はエコじゃないと。

売り場に並ぶ商品の段階で

ムダなプラゴミをなくすべきだと。


10のところだけ意識させて

リサイクルしている気にさせる。

環境を考えてリサイクルしている

その自分の行為を愛でる。

やった気に、やってる気にさせる。


企業も同様の心理でごまかす。

私たちは、取り組んでいますアピール。


だからどうした。

まず1から9の過程で

ムダをゴミや電力、労力を減らす。


そしてその決断を

国民も認めて慣れる。

そのサイクルが始まらないと

意味がない。


お客さんには迷惑かけられないから。

そのシバリが強すぎやしないか。


いいんだよ、迷惑かけても。

いいんだよ、値段あげても。

そのぶんだけ互いが互いを緩める。


互いに緩めることが悪になり

負荷だけをかける方向にしか

動かせないのが原因ですからね。


人間、現状を極力変えずに

いまの快適を維持したまま

安心、安全を維持したままで

やろうとする意識が強くはたらく。


ラクな便利な商品を提供すれば

買ってくれる、使ってくれる。

その戦略思考自体がもうエコでない。


時計を逆戻りさせることを避ける。

負けなんだろうか?逆戻りは。


このままいけば逆に

人間全体が負けるのに?

それはエコではなくエゴでは?


消費する前の製品の段階で

無くてもいいゴミを無くせない。


衛生意識との闘いになるが

キチンとした商品をつくることに

固執してしまうと、どうしても

エコにならない時代になったのだ。


そこを本気で考えて負荷を

互いにかけあうのをやめる。


テレビで自給自足の生活をする人を

紹介したところで消費者の

利便性の平均点は下がらない。

コンポンは変わらないのだから。


間違っているのを気づいているのに

利便性から後退を許そうとはしない。

この人間の理屈こそ

エコの邪魔なエゴで。


意識の理屈としてはレジ袋と同じ。

無くてもいいものは無くしてみること。

実は無くても大丈夫なことは

たくさんあるはずだ。


しかし現在の利便性を捨てきれない。

利便性を追求してきた人間の果てに

私たちは自らグレードダウンして

ゴミの全体量を減らさないと。


日本人は意外に地球に対して

やさしくないことを続ける土台が

出来上がってしまっていて

それを崩すことを互いに

許しあえないのではないか。


ちゃんとやってるつもりの

意識の範囲を自分の周辺の

都合の良い視野から


全体を考える視野に

ひとりひとりが

広げないことには変わらない。


何がグップラだろうか?

タップリ自己欲求を満たし

ドップリ浸かっている私たち。


小手先のエコ、リサイクルでは

何も変わらず時だけが過ぎるだけで

何もかも後回しにしている。


もしホントに啓発したいのならば

メディアも角度を変えなければ

何の意味もないということを

自覚してほしいですね。




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