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ホコリ舞う季節に。


地域によってはサクラが散り

花びらやホコリが舞い上がる。


うまく言えないけど

わかることがある。


閉ざされた部屋では

ホコリは同じところに溜まる。

気づくと同じ場所にまた同じくらい

ホコリが溜まっている。


掃除をしてもだ。

いくら掃除をしても

溜まり出すホコリがある。


空気の流れやホコリの舞い方など

ある程度その空間を動く人やモノ

行動様式が一定であることの証拠。


なんとなくそう考えた。

真実は知らんけど(笑)


社会の部屋のルールやシステム。

何十年と変わっていないとしよう。


ホコリと称された人間が

年数分だけ溜まっている

見えない、見ようとしない

ホコリが存在している。


仮に人生がうまくいかなかった人が

ホコリのゾーンに溜まっているなら

そのホコリは、どうやって

すくいあげるつもりなのだろうか。


そうじして取り除く?

できやしない。

放置し続ける?

やってそう、というかやってる。


そのうちホコリは

風にあおられて自らにも

降りかかるだろう。


政府には生活保護という

最後の手段があると

ホボ・バーコードは

また言うのだろうか。


みんな溜まるホコリを見ないふり。

自分の居場所だけをキレイにして

除菌、消臭に忙しい。


ホコリは声を上げることはない。

声を上げることすらしなくなって

しまったというのが正しいか。


しかし、ホコリは見ようとしない

だけであって、溜まり続けていく。


いつしか誇りすら失い、

意欲さえ失った人もいるだろう。


国さえも助けようともできないまま

目の前の忙しさにカコツケテ。


そうやって溜まったホコリは

いつか自分の居場所の除菌、消臭に

勤しんでいた人たちにも

負担となって降りかかる。


誇りを失ったホコリたちは

自力で這い上がろうとも

システムが許さない。


自分たちで動こうにも

あらゆる方向から鋭利に突き出た

ヤイバが身動きを奪う。


もう無理だなぁ、と悟る。

その絶望感は本人にしか見えない。


いつしか気づけば年齢だけを重ねて

動く体力すら奪われていた。


機械のように働かされてたが

ボロキレのように切り捨てられた。


機会を失って誇りまでも失った。

そのホコリが片付けようとしない

片付けられない汚部屋のように

溜まり続けていく。


いつかそのホコリで

充満した社会という部屋で

苦しむことだろう。

見ないふりをしたツケが

社会という部屋を覆いつくす。


このホコリは掃いて

捨てることはできない。

いつか自分たちの身にも

降りかかってくるのだ。


もう遅いかもしれない。

しかし、目をそらさないで

心に留めておくべきだ。


決して避けることはできない。

換気さえできないこの

日本社会という部屋では

空気感染を免れることは

できないのだから。













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