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お金を回す意識を身につけて、こなかったツケ。


物価高騰による暗いムード。

仕方ないで支配する憂鬱。


いまできることでいえば

意識の問題で変わる部分だ。


少なくとも、経済という部分で

国内でお金を回すことで短期的に

人が助かる流れをつくれる気もする。


大きな財布がある。

権力者が代々預かってきた

血税という意識を高めさせて

なかなか緩めない財布が。


使う分だけ、足りない分だけ

使い道が正しいと認めたものだけ

チビチビと渡そうとする。


彼らは国民の大事な血税だから

大事に使わなければならないと

声高に叫ぶことが、逆効果に働く。


ちゃんと使うために国民が苦しむ。

老後のために、いま苦しむのが

仕方ないことだと思わされてる。

いまがなければ、未来もないのだが。


チマチマ、チビチビ正当性を貫く。

それでも変わらず借金はかさむ一方で。

間違ってるんじゃないかと

確かめたのだろうか?


残念ながら効果的なお金回しを

うまくできていないように思う。

日本人全体の問題ですよね。


私たちはお金を回すことを

あまりに意識してこなかった。

自分たちの責任の及ぶところでは

ないものだと敬遠してきたのかも。


節約、倹約する意識は高まっていくが

お金を回して全体を自分事で意識して

視野を広く確保する自覚が無かった。


認めたものにだけ、必要最低限で

タイミングを大きくずらして渡す。

権力者は、いつもそうである。


遅れようが、少なかろうが

出したことが重要で、実績となる。

それだけだ、ホントにそれだけ。


キチンと証拠を残し、確認して

必要な分だけ、渡しますよと。

あるいは、貸しますよという。


返してくださいね、国民全体の

大事なものなのでと、言うのだが。

そこまでケチれと誰も言ってない笑


渋ると使う人も消極的になることを

お忘れではないでしょうか?笑

権力者が一番苦手でセンスない分野。


人の気持ちに無自覚、無慈悲な策は

もう無意味でしかないでしょうよ。


私たちは少ないお金の単位で

チビチビと回すことしか

現実は、できていないのだから。


1000円を自由に回せる社会と

1万円を自由に回せる社会とでは

明らかに違う現象が起こる。


まず、大事なのが使う人の

気持ちが変わるということ。

この問題に気付けない。


100円しか使えないときの気持ちと

1000円、1万円使えるときの

気持ちが違うというのはわかるでしょ?


いまの私たちの意識は

少しでも安く、少しでもお得に

できるだけ多く、そしていいもの

買いたい、使いたい、自分だけでも。

それが自己責任を加速させる。


ワタクスは気持ちの面について

よく書くんですけどね。


気持ちが前向きになれることが

人間の活力を生み、活力とともに

意識が伝播していくと社会全体に

大きなうねりを生むものだと信じている。


例えが悪いとは思うが、競馬。

100円しか使えないときは

買い方や買い目、点数を絞る。


そうすると当たるものも

当たらなくなる。

知らない人はすみませんね。

そうなんですよ。


あるいは当たっても儲けは少ない。

キセキはそう何度も

簡単に起こるものではない。


金持ちが有利なのは二百も承知。

買わなければいいという視点は

とりあえず、置いといて笑


100円で当たるものが

180円の配当。1.8倍だとする。

100円が180円になる。

儲けは80円。少ないな。


1000円で当たると

1800円の配当。

儲けは800円。ちょっと変わる。


10000円で当たると

18000円の配当。

儲けは8000円だ。だいぶ変わる。


これをイメージして国内で

買い物をするとき1000円を

みんなで回すよりは?


1万円でみんなで経済回すほうが

みんなが回している意識が自覚でき

利益も大きくなるし、まずなにより

買い物する気持ちが、意識が変わる。


買いたいものを考えると

ワクワクする、楽しくなる。

買いたいという気持ちを

発動しやすくなるのだろう。


確かにそうなんですよ。

100円しか使えない競馬と

1000円使える競馬では

まるで気持ちの楽しさも違うし

買い方次第では儲けも大きくなる。


正しく使いたい血税と

長期的な安心安全の理念に基づく

チビチビと正当な使い道に

正しく使って満足してるのは

国を預かる者たち、だけの満足で。


多くの人たちは満足なんてできない。

100円しか使えない雰囲気を

1000円、あるいは1万円使える

そういう雰囲気にするのはどうだ?


やったことないだろうから

彼らには想像できないのかもしれない。


なにより失敗ができないから

動かしたくても同意を得られず

動かせないままで惰性で

我慢を強いるだけを続けていく。


我慢がついに美徳に変わり

我慢して文句をつけないことが

清廉潔白、正直で慎ましく生きる。


それだけではどうにもならない。

変わること、変えることができなくても

そうするしかないと植え付けられた。


無難な作業、思考、守備的意識が

強まって全体も消極的になっていく。


給付金自体も生活防衛の観点でしか

見ない国民を育ててしまったがゆえの

人づくりの失敗であったにすぎない。

お金を回す意識を育ててこなかったから。


控除分を差し引いて上回る賃金上昇を。

でなければ、おそらく根を張る消極性を

崩すことなど、一切できないだろう。


だから配る、定期的に使えるお金を

配ってその使い方、回し方の

意識を変える勇気を持たせてみよう。


気持ちが変われば人も変わる。

そのことを軽んじすぎている。

気持ちが変わればできることを

信じていないのだろう。


たしかに論理的ではないからね。

ただ、気持ちって論理を超える。

そういうもんです、得てしてね。













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