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北海道から逆算で対策を。


いまの北海道の現状をみて、

同じ温度氷点下前後になる地域では

今後そのようなことが起こりうる、

そういう予測が立つわけですよ。


つまり、北海道の現状をみて

自分たちの地域もこれからもっと

寒くなるのだからと、

事前に対策の想定が打てるわけだし、

整え方の参考にもなる。


ここで早めの危機感を意識的にもって

対策を想定しておくのが

国や行政の仕事、むしろこれがキモです。


そして大衆レベルでも自分たちも

厳寒期にそうなったらどうするか

という逆算の思考で、

頭の片隅に入れて考えておいたほうがいい。


コロナをいまだに実感できていない

行動を繰り返してしまうお年寄り。


くしゃみをすれば寒いと言って、

暖房器具をつけっぱなしで

部屋を閉めっきりにする。


あのノドが詰まりそうになるような

呼吸がしづらい乾燥した暖房部屋、

もう大ッ嫌いです・・・(笑)


もちろんくしゃみは手を添えても

その手でそこらじゅうをベタベタ。

気にして手を洗うわけでもない。


暖かくしたからといって、

くしゃみが出ないわけでもない。


換気しないから、ホコリが舞って

くしゃみすることもある。

くしゃみ=寒い、閉め切る。

このスイッチをすぐに入れて疑わない。


人間に染みついた行動を変えるのは

ものすごく難しいんだなと思う。


反面、そこまでやるのももうシンドイ。

気にしすぎたらキリがない世界。

もー、ぜんぶいやだー(棒読み)

ってのもわかる(笑)


ただそうであったとしても、

ちょっとした意識を変える必要がある、

私たちのコロナと付き合う今季の冬。


全部しなくていいけど、

ちょっとしようよと。


1割くらいの変化への努力でいいと思う。

100やれっていう声が強く聞こえると

100やらなきゃってなるんだけど。


そこで100やれ言うのもダメなんですよ。

100やれと言われても、

0の人には逆効果。絶対にやらない。


0の人には1や2、10やってみたらと

勧める程度でいい。効果をすぐに求めない。


0の人を100の人はすぐに怒る。

100が強いのはわかるが、

すぐに0を100にしたがるほうが、

トータルで考えると節操がない。

そこに気づくべきだとも思う。


特に、年寄りは行動を変えるのは

相当難しいことなんだと実感した。


寒いと暖かくしたい、しかし

部屋では、くつろげる格好でいたい。

そんな人間をあざ笑うかのようなコロナ。


ちょっと寒くなってもガマンして

数分でいいから換気。

寒くなっても上着を羽織る。

そして自分でも外の空気を吸い込む。

それも気分転換の意味で結構大事。


なかなかできないけど

やらなきゃならぬ。


怒らずに言う。上着着たら?

ちょっと窓開けたら、スッキリするよ?


そう仕向けても年寄りはなかなか

折れようとしない根性の悪さをみせる。

ホント、可愛くない(笑)


いまさら自分を変えたくない

めんどくさいからこのままで、の姿勢。

怒られたら余計に意固地になってしまう。


この姿勢が年々強くなってきている、

らしいのだ。本人たち曰く。


参考資料はウチの両親です(笑)


年寄りのリアルなつらさや感情は、

自分も年寄りになったときにしか

「ホントの強度」がわからない。


私たち現役世代やもっと若い世代とは

機能低下によって比較にならないほど

私たちが容易にできることが、

つらくて厳しい、という現実がある。


出来ていたことが出来なくなり、

尻を叩かれるように鼓舞され

ついていかなければならないのかと

嘆くような気持ちにもなるのだろう。


年をとるとそういう気持ちに

なるのが自然なのかもしれない。

長生きするのも善し悪しかもなと。


「〇〇しておけばよかった」

助けたいと思う支える側の周囲は、

助けられなかった、という後悔を抱く。


その後悔は「誰のための」後悔なのか。

彼らお年寄りのためというけれど

自分のためなんじゃないのか?

0を100にしたい側のエゴかもしれない。


助けられなかったのは

自分のせいだと

責めたくなる気持ちを

自分に残さないために、

年寄りに無理強いさせてしまう。


ほら、だから僕は、私は

さんざん言ったのに

言うこと聞かないからでしょ?

「私の責任じゃない」をタテにする。


たぶん、その手のアリバイづくりは

無意識に、自分の逃げ道をつくっている

だけなのかもしれない。


判断は難しい。

感染症の流行で世界中が

日常を書き換えられている現実。


日常を変えることが一番難しい。

感染症の一番の敵は人間自身。


日常を変えることはそれほど

難しいことでないといえる反面、

人によっては、すごく難しい。


そして100をできる人が

100を要求する声を高らかにする。

100をできない人を責め立て、

100じゃない人が蹲る(うずくまる)

古畑任三郎?(笑)


この追い込み方はホントに正しいのか。

私たちは自分のできる正義を、

押し出しすぎているのではないか?


これほど言うこと聞かないときは

逆ですよ、何も言わないのも効果がある。

自分で気づかせるパターン。


騒いでいる教室で先生があえて

黙っていると、次第に全体が黙る。

あの感覚、覚えていると思います。


ちょっと焦りすぎな姿勢を緩めて、

柔らかにソフトに自覚を促す。

何も言わないまでいかなくても、

10パーセントくらいの促しのほうが

逆に効果があるのかもしれない。








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