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余白がもたらすもの、日曜の夜。


やられた〜。ノーマークすぎた。

「日曜の夜ぐらいは・・・」だったか。


このクールのベストかもと直感的に。

まさかテレ朝のドラマに、という偏見笑


たまたま、1話観忘れたけど

2話目を録画予約しとくか程度で

夜寝る前に「ながら観」でもと。


あまり先入観もなく期待もせずに。

2話だけ観て期待感が高まる。


3話も観ましたが、う〜ん。

だろうな的展開。ただこっから。

こっからどう転んでいくのかで。


誰しも共感する可能性のある

悩みや境遇などを抱えた葛藤

どこか言わんとしなくても伝わる

感情の揺れを役者が表現してる。


ちょうど観る側が余韻を持てる

気持ち少なめに感じるほどの言葉。

欲しい量のセリフの間があって。

それが日曜の夜には心地よい。


裏の日テレと対照的なね笑

あれは題材が題材だけにですが

埋めりゃいいってもんでもない。


不安は埋めたくなるのですよ。

ええ。心理的にどうしても。

体感でなんとなくわかります笑


同じテレ朝、ラジオ絡みでは

波よ聞いてくれ、のほうが

こういうノリかと思ってたが

あちらは原作ありきとは知らず。


だからこそ余計に気持ちが

スッと入りやすかったのかも。


気持ち長めに間をとってるのかな?

セリフがないときの表情で魅せて

存在感ある配役の妙もあるしね。


キャラが立っていて活きている。

みんなが参加してそれぞれの持ち場で

活きてるなってポジティブさが伝わる。


まぁこの全体が活きている感じは

大事だけど、なかなかつくれない。

なんか出来てそうな雰囲気が伝わる。


これからいろいろあるんだろうなと

期待を抱かせる奥行き、余白がある。

これこそが次見たくなるモチベで。


オリジナル作品ということで

観る側も意識が次の回への興味

ワクワクの総量が必然的に

多くなるのでしょうね。


原作がないものってやっぱ

コッチの知りたい欲にも

まだ見ぬ、想像が膨らむ

余白がちゃんとあるから。


余白は大事ですよね、ほんとに。

その余白を想像する楽しさ

オリジナルならでは、です。


ただネット上にあふれる声に

あまり過度に合わせるなとも

思ってしまいますね。


視聴者の反応を見ながら

展開も変わったりするのは

自分はあんまり好きじゃない。


あんまり寄せてくんなと思って。

ネット上の反射的意見に合わせると

普通になりすぎてしまい面白さとか

個性が結果的に殺されてしまう。


一般人の私たちがすぐに理解できる

そういう感覚は現状維持かソレ以下に

するような効果のほうが大きくて。


私たちを無意識にいまより上に

感覚的に持ち上がっていくような

気持ちの乗せ方を目指したほうが

面白いのでは?って感じます。


ちょっと伝わんないな、言葉では笑

いい意味の裏切りをしてほしい。

そのためにはあまり視聴者の声を

見聞きしなくていいとさえ思う。


私たち視聴者はほとんど

1回しか観ないでその感覚で

誰もが見れる空間に発言する。


一生懸命考え抜いている制作者の

思いの詰まった料理を食して

反射的な感想が口をついて出てしまう。


うまっ、からっ、しょっぱ、

にが、かたっ、くさっ。

つい口に出てしまう反射的な反応。


それに左右されることで

無意識に食べる側の好みに

変えてしまうのを、良しとするのか。


ここ最近は寄りすぎた弊害で

客商売と作品づくりのはざまで

だいぶ揺れているのかな。


レシピ通りにつくるとしても

レシピになるまでの苦労や過程

当然考慮せずにその場感覚で。


それがふつうの感覚です。

何もつくり手を尊重しろ

とは言わぬ。


ただ、つくり手がつくりたいものを

双方向で影響させずに、視聴者側が

相手の狙いを受け止めることも

いまの時代は逆に大切かもなと思う。


今回のオリジナル作品は

いろんな醍醐味がありそうで

それについても私たち視聴者は

気づいています。


その楽しみの余白を自分の中で

無意識に広げていくんだろうと。

これが一番惹き付けられる方法。


原作ありきの作品や歴史物は

作品に沿わなきゃいけないだろうし

すでに知ってる情報を

持っている人は比較してしまう。


ある意味で残念で、残酷で

残忍なプレッシャーで

進む足を重くする。


清野菜名、岸井ゆきの、めるる。

この配役の妙もいいなぁ。

和久井映見、宮本信子もいいね。

まだ登場していない人もいそう。


清野菜名の発する「◯◯さぁ」の

さぁと漏れる切なさ、自分への不信。

なんか伝わりますよ、しっかりと。


お金が引き寄せる得体の知れない

幸不幸、人への思い、不信感、不安。


せっかくうまくいきそうなとき

誰かが足を引っ張ってしまったり。

いろいろとタイミングがズレたり。


そのへんも共感させてくるのかな。

あまり情報を入れすぎないように

観ていきたいかなと思ってます。


自分の視聴する喜びが薄れるので。

のどカラッカラにして水飲みたい。

私たちは普段からもう潤い過ぎで。


日曜の夜だからこそ

前のめりになりすぎず

期待をかけすぎず。


ジワッと受け止める余白。

私たちにも必要な気がしますね。


座椅子の背もたれを少しだけ

わからない程度に起こしてくれる

みたいな期待を、少しだけ。





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