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ルールと人間、どちらが大事?


給付金問題も含めて

国から地方のラインを

なぞることを烙印された

呼出番号使いの人間たち。


手順通りを疑わない思考。

役人の仕込まれた従順性。

そろそろ不満が爆発しそうだ。


いつなんどきも感情を押し殺し

手順通りが正解なのかと。


己の主張との逡巡がありつつも

一歩踏み出せないでいたのだ。

安定という人質と引き換えに。


この問題はいま

過渡期を迎えているのは

間違いない。


手順を踏んでやらなければ

何もかもできないのは

法律の問題だとすれば?


柔軟性を与える、国の判断と

認める意思表示が必要でしょう。

放置国家では、前にも進めない。


そのほうがうまく回るならば

国が自治体に任せる決断をすること。

この一点で変わり得る。


国は手綱を離したくないから

自治体は走りたくても

制御されてる競走馬のよう。


騎手次第。手綱を緩めて

体力の消耗を少なくして

走りやすくするのは誰か。


国は旗手であり、騎手である。

馬主は私たち国民で間違いない。


騎手は馬主あってこそだ。

馬主をないがしろにすれば

騎手は騎乗する馬がいなくなる。


そこを勘違いして

自分が動かしてるのだと

為政心をたっぷり見せつける。


いやいや、馬主がいなければ

お前は乗れないし、ただの人だ。


馬主である私たちに

ケツをブリーンと向けて

好きなようにやるのか?


ヒューイットソン騎手のような

ケツブリーンな騎乗スタイルか?


これは知らん人、申し訳ない(笑)

どうしてもケツブリーンを

使いたくなったワタクシのわがまま。


話を戻しましょう。

誰かを助けることと

ルールを守ることは

時に、矛盾しますよね。


そこまでわかっていながら

変えられないのは

せっかく決めたルールが

ないがしろになるから。


かといって、ルールを前提に

その枠の中でやろうとすると

解決しないレベルの問題には

手をこまねいてそのまま。


延々と手作業でひとつひとつ

対処するしかできなくなる。


選挙の感染予防対策で

鉛筆を一本一本削らされて

黙々と取り組む職員らが

不憫でならない。ちょっと異常。


年々ルールに不具合が生じる昨今

私たちの社会がやるべきことは何か。


全体が動きやすくなるために

ルールの微調整や柔軟性を

認めていく決断をすることだ。


それ以外に解決方法は

ないのではないのか。


微調整や柔軟性までは

みんな視野に入っているが

認める決断ができず

そこから先が進めないまま。


それとエンドユーザーである

私たち、一般市民になぜ

ダイレクトで繋げないのか。


いろんなところを経由して

私たちに届く頃には

鮮度が落ちた魚のように

ゲセナイ遠回りをなぜするのか。


日本は、いろんな取り組みも

あえて難しいルートを通って

成功させるのに酔いしれてる。


企業に賃金を上げてやれと言い

手間をかけ仕事を増やして準備し

丁寧にミスなく実行しようとする。


しかし結果から逆算すると

税金を上げ、物価を上げて相殺。

遠回りさせ実感に乏しくさせる

その党の総裁はどこのどいつだ?


ダイレクトにつなげば、すぐ。

直接配るか、税金を下げるか。

いかに早く届くかが何より重要だ。


でも準備して手順踏んで

時間かけてやろうとして

途中でクレームつけられて

コロコロ変えてブレブレだ。


政府もわざとヘタこいてみせて

意見を聴いて修正した実績を

つくりたいだけなのか?


聞く力かなんか知らんが

意見を聞いて動きますよという

ヘタなアピールをしてんのか?

初めからそうすればいい。


でも初めからそうしてしまうと

自分たち政治家がやったという

パフォーマンスの質の落差が

見えにくいからだろうか。


なんだか毎日、ヘタこく人間を

見せられ呆れさせて興味を無くす。

いつもの客の入りの悪い永田町劇場。


渋沢栄一は泣いてるぞ。

思てたんとちがーうと。

西だかどこかで笑いながら飯食って

忘年会やってる暇などないぞ。







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