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羨望から嫉妬、英語のシットに。


いまを生きる私たちは、もはや

相手が稼ぐため利用される道具だ。


メディアの思惑でネット記事を読み

メディアにお金を落とし、あるいは

同じように自分も動画を観てもらう。


広告収入を得るしくみを利用して

稼ごうとして真似をしては媚びる

欲しがらせ、数を稼いでナンボに。


関わらなければいいのに

自分の意思で関わりたいように

持っていかれる始末。

いまの商売ほとんどコレでね。


好奇心やちょっとしたノリで

相手のフリにノッて中に入ってく

初回無料で中毒にさせたりね。


そんな世の中になってしまってた。

いつからだろうか。こういう流れは。


チリが積もってる状態が世の中

見えないチリが私たちの周りには

たくさん。いつのチリかわからぬものも。


みんなが騒いで動くから

余計にホコリが舞う。

いつの時代のチリであっても

そこで人間が騒いだりして

動かしてしまったらまた舞う。


過去のこともホコリとして

目や鼻について。いま舞うと、

現在の私たちがリアルガチで

受け取ってしまうから。

自分以外のことも。


過去は、過去にしては

いけないものもある。

過去として関わり方を

現在基準にするとうまく

いかなくなってしまうこともある。


ホコリを立てずに吸い取れないものか。

いまの掃除機ならできるのでは?


でもホコリを舞わせないと

騒がせようと仕掛けた意味が

ないだろうと怒るかな?


何か相手をみて羨ましいと

感じることがあるとするとね。


それに対しては昔の人は自分には

叶わない夢みたいなもんだからと

いいなぁ、うらやましい、すごいなぁ。


でも「よそはよそ、うちはうち」

で済ませていた。


だがどこかで裕福であってもなくても

レアがレアでなくなる世の中になって

みんなが同じものを手にしてしまった。


うらやましいことが、自分にも

手にできる可能性があれば嫉妬に。

そのうち嫉妬が英語で言う

シットになっていく。


客観性を失っていく自分。

そのうちメディアの思惑に乗り

警察のSITばりに悪を撃とうと。


みんなに同じものを、というのは

本当に叶えて良かったのだろうか。

進めばそうなるとわかっていたとしても。


ビジネスの大義のもと進化させ

買わせるために楽をさせ便利にした。


ホントに、ホントに良かった面も。

同時に、怠る自分を甘やかせた面も。

さらに自分にも、と欲を生ませた。


忍耐が育たぬ、我慢ができぬ、すぐ怒る。

これは最初から身につくものではない。

経験を重ねながら、自分を修正していく。


同時であること、同じ様にすること。

相互にその確認をして安堵すること。

ハードルが上がって下がらなくなる。


同じであることをいったんは叶え

その後、同じでいられなく落ちる。

はるか上の羨望の的が恨めしくなる。

実に面白くない、が増えていく。


ダウンタウンの松本は格好のエサに。

そんなストレス発散の対象でハリツケに。

好きも嫌いも両者とも興味は尽きない。


年末年始は毎年、何かしらの芸能人の

スキャンダル投下を用意するのかな笑


元日を機に芸能人の多くが結婚発表。

毎年恒例、おめでたい時期に

合わせて発表することで

ダメージを少なくする手法を狙う。


今年はさらに松本をカクレミノ的に使い

話題にならないで的にスキマを狙う。

いちいちチェックはしていないけど

結構、いましたね。


松本が風上に立って、風よけになる。

中には、自分の話題で少しでも緩和を

そう考えて自分に目を向けさせようと

発表した人もいるのかもしれない。


黙る後輩芸人、自らも風上に立って

負担を減らそうという粋な芸人もいる。


笑いにするには、ちょっともう難しい。

つくづくお笑いは笑わせる状況が大事。

笑えないとマインドセットした大衆が

相手になると、かなり難しいのでは。

笑えない雰囲気をつくった責任は

微塵にも感じないのだろう。


自分とかけ離れた人や物事に対して

SNSでも何でもそうだがあのツールや

技術の進歩によって、距離が詰まった。


近い距離にあると手が届きそうになり

手が届きそうで届かないことに不満を

持ちやすくなってしまう。なんとなく。


利便性の高いものが汎用的に一般化され

誰でも安価で同じものを自由に持つ。

それが奇しくも世界が違う羨ましさを

ムカつくとか、気に食わないとか

そっちに変わっていったんですよね。

これはおそらく無自覚です、ほとんどは。


つまりは世の中の一部の羨ましがられる

芸能人や有名人に対して、どこかで

無自覚で反感を覚えてしまうんです。


同じ世界線に引っ張り込もうとする。

自分たちと同じようなルールを守れ

過去の落ち度で、苦しめみたいな。


いい思いしてたんだから苦しめ。

罰を受けろ、ざまぁみろ的な感情の

発露に見えなくもない気がしますね。


やっぱすごいなぁと言えていたのは

自分の生活や人生とは無縁で遠いもの

そう思えたから、テレビなどで観て

スターをスターとして扱っていたし

どこかイチモク置いていたんですね。


昭和や平成の途中までは世間も

右肩上がりのときは通じたことが

数十年の低迷で自分らが笑ってられない

そういう状況に不機嫌が積み重なった。


それがどこかで距離感が縮まっていき

一般化してしまうと、遠いものに対し

どうしても近く感じ、無意識に比較して


自分が持っていないことや

自分がそうなれていないことに

ストレスを感じ、相手を攻撃の対象に

してしまうような、うまく説明できん笑


当たり前じゃなかった世界を

当たり前のように感じ取ってしまう

そういうツールや環境ができて

憧れなくなって、文句をつけたくなる。


特に昨今の芸能人への誹謗中傷は

不況等で自分が苦しい人も大勢いるし

経済的でなくても精神的に苦しい人も。


そういうストレスがありながら

芸能人などが楽しそうにしてたり

羨ましがるようなことをしていると

なんかムカつくようになってきたのでは?


そして、自分たちは辛い思いをして

生活してるのに、やりたい放題やって

何様だみたいな。嫉妬めいた感情が

昔より燃えやすい素材に変わった。


根っこには、うまくいかなくなって

息苦しくなっているストレスを

どこかにあてがわずにはいられない

そういうことが原因にある。


自分でもハッピーであれば

気にもしないことが気に障る。

こういう心理を軽んじすぎてる。


こういう事はみんなで意識して

楽しく過ごせる雰囲気を

つくるしかないのでね。


不機嫌な状態の人はなんだって

不機嫌を引きずったまま受け取る。


不機嫌に引っ張られてるなと

自分でも感じながら、自分では

どうすることもできないから

目の前のものにあてがってしまう。

すべてはココにあるのではないか。






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