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早く速く上手に進むことがすべてか?


川勝知事問題から知った

リニアの中止問題ですが


人間は、というか日本人は物事を

なぜそんなにも、もっと速くと

無意識に加速させていくのか?


人が移動するスピードは

上げればいいという問題では

ないと思うのだが笑


風流でなく、粋でもない何だ?笑

なにも移動に限らず高度化こそが

稼ぐためのすべてみたいな動かし方


私たちがこれ以上、自然の体系に

メスを入れて都合良く開発を

続けていくのも避けられない?


そんなことはないだろう

冷静に全体の利益を考えれば

わかるだろう視点を見ようとしない


いま私たちは自然の猛威に

常にさらされ続けている現実

共存しようとか、あまり負荷を

かけないようにしようとかは?


その原因の一端は止まらぬ

自然体系の崩しにあることを

認識しているはずなのに


開通や開業に合わせて動く人が

いるから、中止すると困ると

そういう意見も当然わかるが

ホントにそれで動かす時代か?


自然体系にメスを入れ続けることで

自然破壊が人間の生活の根幹に

悪影響を及ぼした過去の蓄積がいま

答えは言うまでもないだろう


その人の動きたいエネルギーを

別のことに向けていくアイデアを

考えようとしないからではないか


話し合って意見を出し合って

みんなで考え抜いてもいないのに

簡単に開発に手を染めていく


過去の例にならって動くこと

1を2に3にしていくことに

日本人は慣れすぎているから

簡単にすぐ、もっと次にと走る


もっと早く、もっと速く

もっと上手に、もっともっと

少しゆったりと落ち着こうか笑


外国がいいとは言わないが彼らは

時間上手で休み方や使い方がうまい

うまいというか、当たり前の感覚


うまいと感じてしまう日本人の

私たちの感覚が異常なのであろうなと


ゆっくり時間を使いながら楽しみ

語らいながら、心と体を休ませる

シエスタ的な時間が染み付いた感覚


その余裕が日常にない日本人との違い

いきなり休め、楽しめと言われても

楽しみ方がわからないような仕事人間

指示され指定され楽しむほうがラクだと

この国民性では難しいことだろう


そもそも、いまの早さと速さで

旅を楽しむ時間や空間を私たちは

無理に変える必要はないだろう

そういう感覚を持っていいのだ

もっと遅くてもいいくらいだ


通信速度を少しでも速くする

かのごとく、競争しているが

近い将来まったく新しい規格が

常識となったらヨウナシになる


ADSL自体をもっと速くするぞと

動いているうちに、光ケーブルが

そんなイメージだろうか、違うな笑


でもいま急いでやっていることを

簡単に上回るものができたり

崩壊してしまったときに初めて

行き過ぎ、やり過ぎに気づく

その時ではもう遅いのだが


開発を期待して動く人間は

列車移動の旅の心地よい時間の流れ

楽しみを奪い、景色や景観の中で

自然に目を奪われ過ごす空間を

安易にトンネルばかりにしてもいい?


そんな美しさの奪い方のセンス

美と利のバランス感覚

なにより自分たちが急かされて

楽しむことをこなすような感覚

なんかおかしない?笑


たぶん楽しみ方を取り巻く

環境と人の性格の違いなんだろう


たまにテレビで見かけるBSかな

駅ピアノのやつ、あるでしょ?

あれも外国の駅ピアノの場合は


普通の人が下手でも楽しく

弾いては歌い、それを周囲がみつめ

包まれているあの雰囲気は温かい


楽しんでいる人を褒め称え

いいじゃないかと盛り上げる

下手であろうがなんだろうが

私たちはいま、楽しんでいる


それを微塵にも恥ずかしいとは

思うことはない、それが当たり前


むしろ周囲が盛り上げて

楽しみを増幅させてくれる

雰囲気づくりのうまさ

自然発生的な雰囲気がいい


これは以前にスポーツ観戦の

雰囲気づくりでも書いたことに近い


アレも国民性が丸出しになる

真似してもあの雰囲気を日本人は出せず

カッコつけて、しまいにぎこちなくなる


日本はどうだろうか、駅ピアノ

なんだか上手な人しか弾かない笑


上手な人が弾くピアノや歌しか

聴きたくもないのだろうという

弾き手もそうだし、周囲もそうなる

日本人の無意識レベルの思い込み


だから下手で恥ずかしい思いを

させられるくらいならやらない


人前で楽しくもできないし

楽しくするなら最高のスキルが

なければ、互いに許されない

と思い込む、そうでしょ?笑


この怖さ、外国人はわからないはず笑

むしろ逆に、日本人は真面目すぎて

そんな窮屈で楽しいのか?と笑うだろう


リニアも、駅ピアノも、なにかが

間違って国民性が暴走しかけていて

ちょっとおかしな方向に進みがち


どうせ真似をするのであれば

恥ずかしがらず、楽しむことを

互いに認め合い、雰囲気を誰かに

任せて依存せず、互いに盛り上げ合う


こういうことが自然にできるような

国民性になっていく真似をしたら?


外国人が見せるそういう感覚を

自分たちで認めて、互いに許し合って

自分の中に入れていくしかないのだ


でも日本人は他のマネはしても

日本人ベースの上に取り込んでいく

ベースの欠点があっても変えない


本当はベースの欠点が原因のことも

欠点には目もくれず、合わないなと

面白くないなと、すぐ放棄してしまう


心から楽しむとか、互いを認め合う

上手でなければ、下手なことできない

いろんな欠点にずっとフタをして


上手に進めようとする正義の欠点

これを誰も認めようとしないから


働き方、遊び方、楽しみ方、生き方

もっと自分たちで考え直そうよと


そして自然のなかで生きる以上は

急ぎすぎてやりすぎることが自然に

負荷を与えていることを認めよう


そこをいまの私たちの商売や理屈で

正当化してはならないのでは?


難しい問題ですよね

だからこそいろんな人が

意見を出し合って話し合う

解決しなくても話し合うこと

まずはそこからではないか


マジメにもとづく追及と追求

それだけでは私たち日本人はつい

汲々として、あくせくさせられる

そんなことばっかりだ、いまは笑


もっと休休とするくらいの

余裕を互いに認め合うほうが

きっとうまくいくはずだ


到着が早ければ過程は不問?

上手じゃなければできない?

そんなのなんにも楽しくないよ笑




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