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その泣き声は、言葉です

もうすぐ娘のツキコさん(3歳)は幼稚園で始業式を迎え、年少の新しいクラスで、新しい先生と友達の中に入っていく。春休みが始まった頃は手放しで遊びまくっていた娘だけど、最近は私が出している「もうすぐ幼稚園だからね」オーラを察してか、どこか緊張しているように見える。もうすぐでまた、幼稚園ライフが始まるのだ。

娘は去年の9月に、満3歳児クラスに入り、周りより少し早めに幼稚園に入園した。姪っ子や友人の子供たちを見ていると、幼稚園が大好きで大好きでしょうがない派と、そうでない派に分かれるようだった。そして我が娘は後者だった。彼女の性格からして想像はしていたし、私自身あまり幼稚園が好きじゃなかったのでやっぱりな、と思った。けれど毎日「行きたくないー」と泣きながら登園する姿は見ていてつらかった。

そんな日が1ヶ月続いた頃、幼稚園の園長先生が満3歳児クラスの親に向けて話をする機会があった。まだまだ3歳の子供たちが、幼稚園に来たくなくてお母さんのそばにいたいと思うのは当たり前だということ。そして、泣き声は言葉なんだということを教えてくれた。彼らはまだ自分の感情を説明する言葉を持たない。だから泣いて、表現している。その泣き声は大切にしなければならないと。園長先生の話を聞きながら、私も気づけば泣いていた。言葉にならない大きなものが、きっとそこにあった。

学生の頃から心理学に興味を持ち、勉強してきたので、喜怒哀楽、どの感情も大切で、怒りも泣くことも大切だとはわかっていた、つもりだった。けれどもいざ、我が子が泣きながら毎日過ごすのを見ていると、なんとかして笑顔になってくれないか、他の子供たちみたいに幼稚園を好きになってくれないか、否、好きにならなくてもいい、平気レベルになってくれないか、と願ってしまっていた。弱々でダメダメな自分を棚に上げて、娘には強くなってほしいと願っていた。

でも園長先生の言葉で、ふっと楽になった。泣いていいのだ。それは娘の言葉なのだ。母親の私が大切にしてあげなくて、誰が大切にするのだろう。周りの子と違ってもいい、クラス一番の泣き虫でもいい。娘の言葉をいつも最前列で聞こう、受け止めよう。その時にそう決めた。

それから半年、いろんな行事を経て、たくさんのお友達とママ友に支えられて修了式を迎えた。今思えばあっという間で、母子共に必死で過ごした半年だった。娘は本当によく泣いた。でもなぜかとても、とても、友達に恵まれた。病気で入院し、久々に幼稚園に復帰した時は、クラスメイトがとっても喜んで出迎えてくれた。泣き虫で弱虫なのに、なぜか友達に好かれるところが、娘にはある。

復帰した日の降園時、娘は珍しく、泣かずに玄関から出てきた。緊張していたのか、口をクッと真一文字にして飛び出してきた。きっとたくさん頑張ったのだろう。その姿を見ていたママ友から、夜にLINEが送られてきて「玄関から出てきたツキコちゃんはヒーローだったよ」という言葉があった。私はその時に、とてつもなく泣いてしまったのだけれど、きっとその泣き声は、ありがとうとか愛とか、そういうものがたくさん混ざった言葉だったんじゃないかなと思う。

また新しい幼稚園ライフが始まる。娘はきっとまた泣きながら、幼稚園に行くのだろう。私はその泣き声と共に日々を過ごす。強くなったり、弱くなったりする泣き声をぎゅっと抱きしめて、大切にしながら。


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