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正義マンの取り扱い方。


方言札ねぇ。知らんかった。

脳科学者とか口挟むのダルいな笑


基本、そういう指摘をして

けしからんて言うのは

やっぱり知識がある人なんで。


ほとんどの人が意識していないこと。

気にしていないことを気にさせる

その逆効果の悪影響には注目しない。


やっぱ世の中を窮屈にしてるのは

わりと年寄りで知識のある人。


意見を言わせてもいいが

必ずしも従わなくていい時期に

来てるんですよ、もうね。


結局エリートの知識マウントが

えらく強くはたらいているだけ

ここを言う事聞いちゃうのが日本。


この事に限らずものすごく

少数意見に対して怖がって

従ってしまう流れ。


大義がある少数意見ならば

全部拾って叶えなければ

コチラの落ち度とされてしまう。


この苦しめ方を国をあげて

してるのが日本でしょうね。


縛り上げて誰も楽しくはない。

楽しいのは知識マウントする

エリート審判員だけでね笑


思えば、こういうタイプの人間が

口うるさくノサバルようになってから

日本もおかしなことになり始めた。


本人たちの視野にはない角度で

気づかないでしょうけどね。

非常に残念です。仕方ない。


差別という行為を知らずに

お互いに楽しんでるとすれば?

彼らつくる側や演者がいる空間で

影響されずにしゃべれるか?ゲーム。


仮に、過去を知らずにその過去に

関わってしまうように見える

遊びをみんなでしていた場合でね。


たとえばその対象者が過去に

イジメにあっていたとしよう。


いまはもうなんともない自覚

他の人と変わらず和気あいあい

ふざけあえるようになったのに。


普通にノリで茶化し合うような

関係にも問題なくなっているとすると。


この人、昔イジメにあってましたよ。

そんなことしたらまたイジメてる?

ってなっちゃうよ、誰が見てるか

わからないんだからやらないほうが。


こういうことを外で見てる人が言う。

この構図、言うやつは状況を外形だけ

みていて、相手に伝えるために工夫を

ひとかけらもしていないんですよ。


仮に、本人が過去のイジメ体験を

克服していたとして、関係のない

外部の一言によって思い出したくもない

イジメの過去をフラッシュバックさせる

キッカケになったのだとしたら?


そっちの可能性もあるよ、なくはない。

その責任、トリガー意識はある?


人は忘れていることを

考えないようにしていて、

何かキッカケで予期せず

思い出したりするんですよ。


それを正義マンは逆効果で

与えてる可能性は見えないの?


ワタクスは何度かたとえてるが

学校の球技大会でバスケやって

バスケ部員がルール通りに厳しく

審判するのがアホみたいに思って。


これは自分でも審判をやって

感じたことだから、わかる。

バスケではないけど別の球技で。


厳密にルールを適用して

流れや雰囲気を悪くしてるのは

誰でしょう?実のところ。


試合の流れをよく見ながら

ゲームを楽しくてしてるみんな。

それをジャマしないさじ加減を

うまく出来ると、さすがだなと思う。


わかってるよね、うまい。

ワタクスなら審判した人に

そうやって言いたくなりますね。


多少の細かい事で止めて台無しに

しないで流れを止めずに楽しく。

この構図と似ているのでは?


昔そういうことがあったけど。

それを知らずにみんなで楽しく

やっているのだとしたら。


知らないことが善でなくても

お互いに楽しくしてるならば

悪を放り込んで高みの見物は

どうにも行儀が悪くないか?


いついかなるときも正義の鉄槌は

正しいとは限らないんですよね。


その空気感を読めずに外部から

急に割り込んできて、ぶった切る。

まともなオトナであれば、その指摘は

気にしすぎ。流れを止めてしまう。


止めたほうは正しくできて満足。

だが止められたほうは必ずしも

正しいからといっても満足しない。


みんなの空間を壊されるのは逆に

不快極まりないのではないか?


その雰囲気を壊すことより

歴史や正義が大事だとしてもね

相手の場を壊すようなことを

してはいけないでしょ?


そして彼ら正しい嗜好の集まりに

すべてを合わせることが正しい?


やる気をなくしたり、つまらなく

感じさせても、相手に振りかざす

行為が正当化されてもいいのか。


これに画面に注釈を入れて

スタッフがおいしく食べました

的な取り繕い方で妥協点見いだす?


これはそっとしておいてあげようよ。

仮に言う人がいたとしても全体は

その流れに従うとしぼんでしまう。


ならば、自粛や萎縮をしてまで

正義気持ちいい、快楽者にすべて

ラインを合わせなくていいんです。


問題は私たちが受け取ったあと

踏み出した歩みを怖がらずに

止めないことではないか?


彼らはそっとしておくべき。

呆れて蔑んできたとしても。

構うから余計に増えていく。


正義マンには正義マンなりの

意思があるからそれはそれで。


あとは私たちが窮屈にしすぎる

構図をコントロールすれば良い。


この国は良くも悪くも正義マンを

どうコントロールするかが課題。

良かれと思ってする事は決して

彼らだけの権利ではないのだから。







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