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メンタリティの違い。


世界のコロナへの対応で感じること。

最近何かでみたのはイタリアの現状。


イタリアは現在はかなり収束してきて

国民の意識の変化にジローラモが

驚いているという内容だった。


アメリカは中国に対抗心むき出しだが、

それはしたたかさに気づいているから。


イタリアもどうやら中国のしたたかさの

餌食にあっているような内容の番組を

どこかの放送局ではやっているが

イタリアは何が違うんだろうか。


まず、イタリア以外も含めて

大まかな感じで日本と比較すると

他の国は、対応と決定とリスクへの

「ちゅうちょが少ない」のが特徴的だ。


おそらくワクチンも医療体制とかも

極端に言えば失敗してもいいから

前に進む、打開する、解決へ踏み出す

というパワーというか、意思が強い。


日本はリスクを最小限にするために

あくまでも慎重に事を進めるスタイルを

疑おうとはしない、むしろ縛られている感。


強く出ると反発はある、

しかし人間は慣れというか

徐々に対応してアジャストしてくるもの。


やれよ、やるなよ、守れよ

・・・かなり強気に感じるが

そこができるかできないかが、

日本と他国の違いかなと。


日本の対応が遅れるのは、

いろんなリスクを考えるから。

リスクを考えるのは

リカバリーや補償が大変になるから。


ホントはこの際、迷惑かけるのは

お互いさまなのに、遠慮が過ぎる。

そしてお決まりの座右の銘?気味の

「法律が人間より上」だから。


人間ひとりひとりの主張は

他国も、日本も当然ある。同じだ。

でも非常時でさえスタンスを変えられない。

これは致命的な欠陥。


そう考えると他国がもっている

メンタリティが日本と違うことが

やっぱり関係しているのではないか。


アメリカは個人の自由を

何よりも侵されたくない。

だから反発が強く、

そこに対抗するためには

国も強く出なければ、

パワー負けしてしまう。


そこのせめぎ合いでの闘いをいとわず

意見と力を闘わせていくその延長上に

解決の道があると確信している。


イタリアはイメージとしては

サッカーの「カテナチオ」かな。

ゴールにカギをかけて、守り切るような

リアリストであり、1-0で守り勝つ。


そこからイメージするとイタリアは

どんなことをしても守り切るために、

全体を強固にする。


そこの意思統一への連帯感が強い。

もっと言うと、その守りに入る瞬間の

スイッチの切り替えが速いのだ。


国民全体が自分自身にもスイッチを入れる。

誰に動かされるでもなく、協力して

決める、動く、やりきる、そのスピードに

ちゅうちょがない。


当初、多くの犠牲者を出したイタリアは

たぶん、大量失点を食らったかのように

ガマンならなかったのだろうと思う。

プライドをズタズタにされてしまった。


華麗なパス回しもなくていい、

自由でも創造的でもなくていい。

しかし負けるのだけは、美しくないと。


だから国民の誇りを取り戻すような感覚で

全員が失点ゼロを目指し(絶対に勝つぞと)

協力してやっていくというスイッチを入れ、

「メンタリティが攻撃的になった」結果だ。


ただ単に、教えられた決め事を守るのでなく

そうしなきゃまた美学をズタズタにされる。

大量失点はもう、プライドが許さない。


だから全員「自分たちの意思で」協力する。

そのメンタリティの強さが際立っている。

あくまで想像ですけどね(笑)


日本は、もうみなさんおわかりでしょう(笑)

もうひどくなってほしくない、

とは思っている。

心の中でも、ネット上でも思う気持ちは

イタリアとも、さほど変わらない。


しかし「誰かに預けてしまう」

このメンタリティ。

これが日本の最大の弱点である。

これは断言で。


サッカーでいうと横パスだらけで

リスクを承知で仕掛けようとしないのと

似た状態にいる。

というか、いつもその状態で変えない。


おねがいします、頭を下げる。

強気に出ることはまずない(笑)

国際舞台で日本で育った人財が

輝かないのと同じ欠陥でしょう。


サッカーの久保選手がいい例ですね。

スペイン人ですよ、メンタリティは。

少なくとも日本人のメンタリティではない。


ドリブルを仕掛けるでもなく、

相手が嫌がることも仕掛けない。

みんなが平和にと思いながら、

他人に預けてしまうメンタリティ。

これが、教科書に載せるべき日本人です(笑)


ワクチンも世界中でリスクがないと

証明されたもので国内でも慎重に

精査したものしか承認しないでしょうし、

先進国では一番遅れた対応になるでしょう。


これはおそらく、メンタリティの違い。

5番手くらいで周囲を注意深く見定め、

慎重に慎重に石橋を皆が渡ってから渡る。


日本国民は「思ってはいるが、やらない」

言われたことだけやる教育の弊害もあるが

変わろうとしないのは、その背景にある。


リスク回避の心理になってしまう私たちの

社会全体のしくみの問題が隠されている。


失敗するのが怖い、失敗したらもう終わる。

二度と取り返しつかない。次の保証がない。

だから現状にしがみついて、ただ我慢する。


この背景があるからこそ、

日本人は我慢するんですよ。

他国は日本人の整然とするサマを

称讃してるんではないんです。


俺らにはとてもじゃないが、マネできない。

そこまで動かないのが、

人として信じられないのだと。

そんな侮蔑の意味も含まれていると思う。


ワタクシがやりたいこととも

リンクしてきますが、

誰かについていくのではなく、

誰もが立ち上がる、その集合体が強い。

そこで変わるんだと思います、

ホントの意味で。


がんばろうだけじゃダメなんですよ。

がんばろうって簡単に言うけど、

どれだけ無責任なんだって話。


決められない国と、預けたがりの国民。

もうスイッチ入れなきゃならないのでは?

また「失敗の本質」と同じ轍を踏みますよ。

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