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私が離婚以来通う、縁切り神社安井金比羅宮

京都市東山にある、安井金比羅宮が好きだ。
行ったことのある人もいるかもしれない。
ビジュアルが強烈なので、何かで見たことのある人もいるかもしれない。
私も最初はたぶん雑誌で見たのがきっかけな気がする。
いわゆる縁切りで有名な神社だ。

最初に行ったのは、離婚の話し合いをしているときだった。
まさしく、縁切りを目的に。
話し合いがどこまでも平行線で、もうどうしようもなく、鬱屈としていて、神頼みしか頼る術がなかった時だ。
その後時間はかかったものの、無事離婚は成立した。
お参りしたから離婚が成立した、とまでは思っていない。
ただ当時、自分の決意を通しきる助けになったり、縋ることで心が安らいだりしたのは事実だ。

人間関係って一番厄介だと思う。
話し合いとか、努力とかが及ばないことがしばしばある。
離婚のように自分が認識している切りたい縁もあれば、自分はわかってないけれど切ったほうがいい悪縁もきっとあるんだと思う。
それは自覚してない分自分では行動できないから厄介だ。
安井金比羅宮に通うのは、そういう縁を神様によけてほしいな、という願望もあるかも知れない。

離婚のお参りがきっかけになり、その後も京都に行くとたいていは立ち寄る。
毎年は行けていないが、最低頻度でも2〜3年に1度、計5〜6回は通っている。
その間関東や愛知在住だと考えると、遠方の1か所にそんなに通うというのは結構こだわっていることが伝わると思う。
私にとっての「崇敬神社」だ。
知らないうちになにかがフィットしたんだと思う。
(調べてみて初めて知ったが、地元の神様(神社)を「氏神様」、(私の実家の場合仏教なので)実家の寺を「菩提寺」といい、地縁ではないが信仰する神社を「崇敬神社」というらしい。)

どんだけ切りたい縁があるんだ、という感じだが、安井金比羅宮は縁を切るだけじゃない。
縁結びでもあるのだ。
公式ホームページにも「悪縁を切り、良縁を結ぶ神社」と記載されている。
それに、この「縁切り」「縁結び」は恋愛関係にとどまらない。
病気、酒、煙草、賭事など全ての悪縁を切って良縁に繋げてくれる。

もちろん御守りも、縁結びがちゃんと置いてある(これはどこにでも結構あるけど)。
ちなみに私はいつも縁切り御守りと縁結び御守りがセットになっているものを買う。
今日も以前買ったものをお納めして、新しい同じものをまた買ってきた。

正直効能をそれほど信じているわけではない。
でもなんとなく、せっかく行ったから記念に買い替えている。
いつも持ち歩くわけではないけれど、なんとなく気が済む、みたいな。
スッキリする、みたいな。
古い御守りを持っていると、どこか不義理をしているような気持ちになる。
よく考えると不思議な心理だ。
なぜだろう。
それこそ八百万の神の精神なのかもしれない。
つまり、御守りにその効能は求めてないが、その御守りにも(他の全てにも)神の一部が宿っているからぞんざいに扱えない、埃を纏わせるのは心苦しいみたいな。
たしかに、そこらじゅうにいるという神様たちには、埃じゃなくて、千と千尋のお湯屋のようなきれいな場所でのんびりしててほしいなぁ。


今日は毎日投稿59日目でした。


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