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18歳初1人旅トルコ、クルド人に教えられた人種と国籍

私は日本国籍の日本人だ。
両親も日本人。
それどころか、両親ともに実家も両親の住む愛知県某市内にあり、親戚もほとんどがその近くに居住している。
そのため国籍や人種という考えが日常に出てくることはなかった。

私が18歳までに出会ったおそらくほとんどの人が、私と同じ日本国籍の日本人だったと思う。
小学校の同級生にペルー生まれ日本育ちの子がいたが、外国のルーツのある子はその子くらい。
時代と、育った場所が田舎の閉鎖的な場所だったせいもあるかもしれない。
それらは授業で出てくるもので、日常的な体感としては知らないものだったのだ。


そんな背景のある私が、18歳で初めて一人旅でトルコに行った。
全てが目新しく楽しくて仕方なかった。
その中でもひときわ強く記憶に残っているのは、クルド人との出会いだ。

クルド人というのは、中東で4番目の人口を誇る民族だ。
それにもかかわらず独立国家をもたず、今は国で言うとトルコ、シリア、イラン、イラクに散らばって暮らしている。
その時の私は「何人(なにじん)?」と聞かれ「日本人だよ。あなたは?」「クルド人」「クルド人(Kurdish)?トルコ人(Turk)じゃないの?」「トルコ人じゃない。クルド人だ。」というやりとりを何回か経て、トルコ国籍(Turkish nationality)のクルド人(Kurdish)が存在すると初めて理解した。
トルコ国籍だからといってトルコ人なわけではないのだ。

国と人種が同一ではないとそれまで世界史で学んだこともあった。
中国は漢民族が中心となり王朝を建てたが、少数民族の統治が難しい、とかそんな文脈だ。
でもそれは知識としてあっても、私の発想に根付いてはなかった。
そもそもその時の私はクルド人という人種も初めて聞いたくらいだったのだ。


これは国と人種はイコールではないという認識を改めてした経験だった。
いや、もっと根本的に、国や人種という概念そのものを初めて体感で学んだとも言えるかもしれない。


10年以上経つ今でも彼の強い口調を覚えている。
自分はクルド人であり、それ以外の何者でもないという強い矜持と誇りと少しの拒絶が詰まった声色だった。

当時は理解自体に時間がかかって掘り下げて聞くことができなかったのが悔やまれる。

彼の「トルコ人じゃない」には、どんな歴史や思想や感情が含まれていたんだろう。


トルコ式朝食。中東にもよくある形式。フランスパンに塩味の強いチーズ、蜂蜜などをつけて食べる。美味。この時人生ではじめてオリーブを食べて、いまや虜。



書く習慣1ヶ月チャレンジ中。
今日は、24日目。

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