#008. アメリカンAORの大ベテラン、MARK SPIROが紡いだ音楽と人。
はじめに
本日紹介するMark Spiroは御年64歳の大ベテランだ。
日本で言えば65歳の定年を間近に控え、このまま定年後再雇用か、はたまた無職の年金生活か、老後の身の振り方を考える時期でもある。
そうして顕在化するのは、居住地域における自治会への関わりだろう。
Mark Spiroが住むアメリカ合衆国にそういった地域の町内会的な活動があるのかどうかは分からないが、日本では古くから組織化され、令和の今でも慣習化している。
今回は前書きとして、この自治会の問題に踏み込んでみたい。
その前に、自治会とは何ぞや、という基本から始めなければならない。
以下に引用する。
その歴史は古く、江戸時代にまで遡る。
ただ、全国規模で組織化されたのは昭和の戦時下と言われている。
現代社会の授業でもお馴染みの、大政翼賛会である。
念のため、これについても引用しておく。
加えて、地方に行くと隣保班という言葉も聞くが、これは部落会・町内会の下請け組織として10戸前後の世帯で構成されていたもので、戦時下における防空、防火、防諜、防犯、そして国民貯蓄や物資配給を円滑に行うことが主目的となっていた。
当時は隣組とも呼ばれており、思想統制や住民同士の監視の役目も担っていたので、戦争終結後の昭和22年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって廃止されている。
しかし、その名残が令和の今でも残っているのは周知の事実であろう。
現在、賃貸マンションやアパート住まいの方にはピンと来ないかもしれないが、こうした隣保班並びに自治会の存在は、日本という土地で生活するのに決して避けては通れない。
加えて、過疎化と高齢化がセットで進行している現在、我々の国民生活においても喫緊のテーマとも言える。
それはなぜか。
例えば、定年について。
これまで55歳や60歳だったりしたものが、今や65歳以上でも働く人が増え、定年後再雇用の労働文化は当然の選択になりつつある。
これは単純に元気な人が増えた、健康寿命が延びた、などというポジティブな感想だけでは足りず、生活していくのに年金だけでは暮らせないというネガティブな国民生活の苦境が反映されていることは言うまでもない。
尚且つ、年金支給年齢が70歳以上に引き上げられる可能性が指摘されているのも、1つの要因になるだろう。
従って、これまでの自治会の役員というのは、60歳あたりで定年を迎え、無職となった年金生活者が順繰りでバトンを回していたわけだが、現在では上で示したような前期高齢者の労働環境の変化もあり、年々役員を務める人材が減少している。
もし仮に貴方が、70歳を超えて、はたまた後期高齢者(75歳)となってからバトンが回ってきた頃に、果たして自治会役員として地域の祭りその他多種多様な活動を円滑にこなせるだろうか?
我ながら、70歳を超えると体力、気力ともに低下するのは目に見えているので、この問題は本当に由々しき事態だと思っている。
では、自治会の多種多様な活動とは具体的にどういったものがあるのか。
以下に引用する。
これだけの活動を、主に自治会長と副会長の数名だけで行っているので、特に高齢化と過疎化が進行している田舎では慢性的な人材不足に陥っている。
そしてまた、この活動内容を見て、読者諸氏はお気付きだろうか。
自治会とは、未だに行政の下請け組織であるという真実に。
つまりこれは、大政翼賛会以降、戦争のために結束させた地域コミュニティをそのまま行政が利用していることに他ならない。
もちろんタダで利用するわけにもいかず、市町村は一括交付金という名目で自治連合会等に補助金を出しているわけだが、無論それだけでは足りず、自治会費または区費や町内会費等、名称の如何に問わず、各世帯から一定の会費を徴収し、運用しているのが現実である。
戦後の日本は社会主義国として成功した国、という冗談をよく見かけるが、あながち冗談に聞こえないのは、こうした自治会組織が全国津々浦々まで各家庭に影響力を及ぼしているからだろう。
しかしこれが未来永劫、脈々と受け継がれるのかどうかは不透明である。
例えば、地域の親睦を図るという趣旨でもって開催されてきた体育祭やレクレーションの類いは、娯楽の少なかった昔だからこそ成立していた行事であり、21世紀を迎えた令和の今、各家庭の貴重な休日を潰してまで開催する意味と意義があるのかどうか、真剣に議論すべき頃合いである。
(幸運にも、コロナ禍によって中止を余儀なくされている状況でもあるので、体育祭などはこのままフェードアウトされるのが望ましい。)
また、地域の寺社仏閣によるお祭り行事に関しても、自治会がどれだけ干渉するのかどうか、今一度点検していく必要もある。
要するにこれは、政教分離の問題なのだ。
そもそもが戦死してしまった兵士を軍神として慰霊する意味が各地域のお祭りにはあったわけで、その伝統を継承しているのであれば、民主主義を一応の建前とする自治会組織が関わるのは、少々違和感がある。
もっと細かいところで見ると、収入と支出、所謂会計仕分け作業も自治会の仕事になるが、恐らく今はどの自治会もパソコン会計(エクセル)が主になっていると思う。
しかし、地域というのは千差万別である。
実際のところ、パソコンを扱えないという団塊の世代も多いので、この会計仕分け作業のために、定年後にパソコン教室へ通わなければならない事態も想定されるだろう。
逆に、今の若い方などはパソコンではなくスマホで全てを完結させているぐらいなので、将来に向かっても、会計仕分け作業それ自体に不穏な空気が漂っていることは指摘しておきたい。
(もちろん、近い将来では専用のアプリが開発されていることを願う。)
完全に余談になるが、とある組合の事務局に務めた時、事務作業簡素化の目的で、会員への連絡手段をそれまでのFAXからメールにしようと提案して取り組んでみたのだが、およそ3割弱の会員から「パソコンやスマホの操作が分からない」「メールは見ない」といったような苦情が来た。
結局FAXとメールの二段構えで連絡することになったが、何のことはない、メールを送付するという事務局の仕事が1つ増えただけであった。
甚だ、本末転倒である。
総じて、組織の新陳代謝とは時間を要する。
これが企業体であれば株主総会によって組織を刷新することが可能だが、自治会は利益を生み出す企業体ではなく、生活に基づいた地域における互助的な共同体なのだ。
例えばそこに仕切りたがりで声の大きい高齢者の存在があると、自治会の改革というのは遅々として進まない。
なぜなら、地域の年長者である彼らは、戦時下における隣組などの歴史的背景を肌感覚で知っている分、抜本的な改革には及び腰になってしまう。
だからこそ僕は、コロナに見舞われた今の世界はある意味で幸運だと思っていて、パラダイムシフト的な改革を推し進めるチャンスではないかと。
それはテレワークなどの日本の労働環境にも同じことが言えるのだが、コロナという苦難を逆に利用、活用していく世の中であって欲しいと思う。
前置きが長くなり過ぎたので、そろそろ切り上げたいと思うが、今回取り上げた自治会や消防団などの地域に根差した問題は大きなニュースに隠れてしまいがちなので、興味ある方は書籍などで改めて問題点を精査しておくのも老後の備えとしてアリかもしれない。
日本に住む以上、他人事ではないテーマだと思う。
ということで、本日はベテランのシンガーソングライター、Mark Spiroの新作について取り上げたい。
マーケットでの知名度は低いが、その筋の業界では大物なので、この機会にチェックして頂ければ幸いだ。
上のMVにあるように、本作のオープニングを飾るこの「Traveling Cowboys」が全てを物語っているように思うのだが、メロディック・ロックというよりはソフトロックやAORの系譜、むしろポップスにも近い印象だ。
この曲を書いた経緯について、本人のコメントを見つけたので以下に引用しておく。
また、このアルバムについても、その製作意図については次のようにコメントしている。
要するに、自分の身の回りで起きている物事からインスパイアされ、それを歌詞にして、彼の得意技でもあるキャッチーなメロディで包んだというような内容である。
つまりそれは人生だったり、愛や犠牲だったり、Mark Spiroの年齢にふさわしい普遍的なテーマが描かれているようだ。
特にこの「7 Billion People」は増えすぎた人類が火星に移住する未来を歌ったもので、そこに描かれているのは矛盾や欺瞞、そして希望と絶望という相反する感情を悲喜交々に仕上げているところが面白い。
音楽性のみならず、その風貌や世界観からBob Dylan的な印象を抱かせてしまうかも分からないが、Mark Spiroはあくまでも自身の専門分野でもある、AORの土俵で相撲を取っているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
プロテストソング的なものを期待すると肩透かしを食らうので注意が必要。
この曲を聴け!
個人的には、4曲目の「Going」の雰囲気が好きだ。
ロックからは程遠く、完全にポップスだが、大陸的な世界観が良い。
やはり彼のメロディセンスは抜群である。
64歳の今でも、全く衰えていないことを痛感した。
先ほどから申し上げているように、本作の音楽性はAORのみならず、こうした打ち込みを主体としたポップス的な楽曲も目立つので、リスナーの趣味嗜好によっては退屈な作品になってしまうかもしれない。
彼自身がコメントしているように、本作の世界観はおよそパーソナルでウェットだから、どうしてもエッヂの効いたサウンドにはなりにくいのだ。
シンプルに彼が今やりたかったことを体現した結果とも言えるだろう。
決して、過去の名作「Devotion」のようなサウンドは期待しないように。
今回は良くも悪くも、HR/HMの土俵で語るべき音楽性ではないと思う。
むしろ彼の功績を知っている方にこそ、その意外性を楽しめるソロ作品なのかもしれない。
(功績については今さらここで言うまでもないが、彼は他アーティストへの楽曲提供によって知名度を上げた人物でもあり、MR.BIGやBAD ENGLISH、GIANT、CHEAP TRICKなど枚挙に暇がない。)
個人的には、後半になるにつれ、楽曲のアレンジにも雑味が残り、全体のまとまりにはやや欠けてしまったのかなと思う。
せめてオープニング曲「Traveling Cowboys」の世界観で全体を統一してくれた方が、より好印象に映ったはず。
余計なお世話かもしれないが、彼のようなベテランに対して躊躇なく意見を言えるプロデューサーの存在が必要ではないだろうか。
年長者で、しかも叩き上げの老兵ともなれば年下が進言するのは勇気がいるものだが、、、何はともあれ、Mark Spiroが自治会長になるのはまだまだ先の話だと思うので、引き続き次のソロワークにも期待したい。
総合評価:75点
文責:OBLIVION編集部
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