アッシュ・スミス 【忘却ブラウン管】
忘却ブラウン管 90年代ベスト
忘却映画館 10年代ベスト
忘却映画館 00年代ベスト
忘却映画館 90年代ベスト
1990年1月29日。 「最近、SalidaのCMに高橋幸宏と仙道敦子が出てる」 ♪職業選択の自由あははん。 忘却レコードショップに同時に出てきますけど、「夜のヒットスタジオ」に幸宏さんが出たとき、司会の加賀まりこさんが(仙道さんが幸宏さんの背中に額をあてるシーン)「あのときのあなた、大好き」と、きゃっきゃっしてました。
1990年1月24日。 「テレビで松田優作「探偵物語」再放送」 1月31日。 「昨日録画した松田優作「探偵物語」再放送・最終回を見る」 工藤ちゃん。 まあ「基本」のドラマですかね。と言いつつ、私は(このときより前の)再放送で初めて見たくちで、さらに各エピソードはもう忘れてしまってるんですが。 伝説のラストシーン、原宿のゼストで撮影されてるんですけど、私、この90年から99年まで何度か行ってるんですけど、その10年間まったき気づかず、後年「あそこだったのか!」と驚い
1990年1月6日。 「眠れなくて朝6時。オールナイトフジ見たり、外ジャレポートまとめ直したり」 外ジャとはたぶん「外国ジャーナリズム」とかそんな感じだと思います。大学の講義名ですね。どうでもいいことですが。 オールナイトフジは83年から放送してますがそのとき私は中学生。いまと違って一般家庭は居間にテレビが一台の時代ですから、真夜中にこんな番組つけたら当然家族にモロバレですので視聴できず。 代わりにといってはなんですが、85年「夕やけニャンニャン」が始まるわけで
1990年1月3日。 もうほぼ記憶にないんですけど、まずこの前年のいとうせいこうさんのアルバム「MESS/AGE」に「噂だけの世紀末」という曲がありました。 それをベースにしての番組だったのかと思われます。 2016年、宮沢章夫さんの「ニッポン戦後サブカルチャー史」でこの番組を取り上げてるようでした。見逃したなあ。
1989年12月12日。 「時間ですよ 平成元年」見る。 このときの記憶はございません。 「時間ですよ」は大量にありますけど、だいたいは、いつの時代の何話かとか気にせず、再放送で流れてたらなんとなく見る、くらいでした。 (TBSは朝11時くらいにドラマの再放送流してたんですよね)
1989年11月24日。 「「心はロンリー、気持ちは…Ⅸ」見る」 「心はロンリー」は84年から放送されてるお笑い+ドラマのシリーズなんですけど、パート6くらいまでは私、何よりもいちばん好きなテレビ番組でした。何回ずつ繰り返し見たかわからないくらい。 でも、このパート9以降はもう、そこまでのパワーがなかったかな。というかひどかったかも。先日の2024年のFINALなんか見るに耐えなかった。 という残念な晩年はともかく、初期は本当に面白く、(ときに気づかない)ギャ
1989年11月19日。 「NHK特集「TOKYOスピード/21世紀のデザイン実験都市」見る。いい」 ここまで詳細に日記に書いてるんですけど、以上のワードを検索にいれてもひとつヒットしない。 記憶もないし、本当に見たのかしら。
1989年10月31日。 「「ふぞろいの林檎たちⅡ」最終回の再放送見てから大学」 「ふぞろいの林檎たち」も「北の国から」みたいにマストなドラマでしたね。 いやあ、シリーズ通して名シーンを語り出すと止まらないと思います。 パート2といえばやはり、室田日出男さんでしょうか。 小沢健二さんの「愛し愛され生きるのさ」の歌詞、「♪10年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた/ふぞろいな心はまだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ」は、「ふぞろいの林檎たち
1989年10月18日。 「女友達2人とドラマ「同級生」のビデオ見て大爆笑」 トレンディドラマがだんだん笑いの対象になってきた時期のようです。 このとき何のシーンで爆笑したのかはすでに忘却の彼方ですが、別の女友達と、たぶん最終回のことを話して笑ったのは覚えてます。 (記憶曖昧なので間違いあればすいません)安田成美さんがアメリカかどこかへ急いで旅立つのですが、その部屋で親友の山口智子さんと中井美穂さんが寝たふりをして無言で見送り、出て行った後に2人は泣きながら抱き
1989年9月16日。 「19:00帰宅。3時間ドラマ「空と海をこえて」見る。加藤茶と後藤久美子のパソコン通信ドラマ。なかなかいい」 「なかなかいい」とえらそうに書いてますけど、記憶にない。 ないですけどウィキのあらすじ読むと、こりゃ泣くだろうなあとも思います。 しかし「パソコン通信」が最先端の時代だったんですよね。しみじみ。 だめですよ、YouTubeで検索したりしたら。
1989年8月17日。 「帰って、HOWマッチ、みなさんのおかげです見ながら夕飯」 この番組で、石坂浩二さんのあだ名が「へいちゃん」だと知った人多数。 83年から90年までの放送でしたけど、これも「家にいたら見る番組」でした。
1989年7月17日。 「笑っていいともに岡部まり。あきさんと同姓同名の八木亜希子というアナウンサーがいた。さらに1年のときスペイン語のクラスにいた、化粧のうまい子が新人アナウンサーになってた」 上記、「八木亜希子(さん)という」という記述が時代だなあって感じの日記ですね。ちなみにこの新人アナウンサーは木幡美子さん。 「笑ってる場合ですよ!」時代も見てましたけど、「笑っていいとも!」は、まあ家にいれば見るし、日曜に出かけてなければ総集編見るし、というのがあたりまえ
1989年7月12日。 「夜のヒットスタジオ、大江千里がマンスリー」 もちろんこの前からずっと見ております。 いまでも鈴木慶一さんと高橋幸宏さんの「ビートニクス」が2回出演したときとか、他にも好きなミュージシャンの録画はいくつか残ってるんじゃないかな。 そうだ、スタイル・カウンシルのロンドンからの中継とかも保存してた。 古舘伊知郎さんのフレーズでいちばん笑ったのは、まだご夫婦だったころの坂本龍一さんと矢野顕子さんがお二人で登場したときの、「日本一の共稼ぎ」でしょ
1989年7月3日。 「新番組「どーする?!TVタックル」見る。「子供は人間じゃない」と言い切っててすごい」 いまの「ビートたけしのTVタックル」ですね。 最初の2年くらいはトークテーマが面白かったかと。
1989年7月2日。 87年からこの2か月後の89年9月までの放送だったようです。 家にいたら見るくらいでしたけど、けっこう面白かったような。 例によってYouTube検索はご自身の判断で。
1989年6月28日。 「岡部まりが出てるので「オイシーのが好き!」見るが、つまらない」 身も蓋もない感想ですいません。 松下由樹さん主演で、マガジンハウスの「Hanako」編集者という設定なんですよね。 こう書くだけでなんか恥ずかしい。 「おいしい」の元ネタは糸井重里さんの西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」(82年)なんでしょうか。 でもこのドラマ前年とかに「オイシー」という言い回しが他にあったようななかったような。もう思い出せず。