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歯車としての美学
年齢問わず割と良くない印象で使われる言い回しですが、社会の・会社の・組織の「歯車」という言葉の表現について考えた事を書きたいと思います。
近年、承認欲求を満たすツールとしてのSNSの台頭や、IT周りの発展で若い内から起業する人が増えたりといった状況の中、その逆位置からのネガティブな語り口の中でこれをよく耳にする気がします。
恐らく「機械」から連想される「心を持たない」「画一的な」というような意味合いから来るマイナスイメージだとは思いますが、反対に機械の構造から考えてみると、基本的に歯車という部品は一つでも欠けたら致命的に機能が止まってしまう類のものです。
また例えば高級時計の内部にあるように装飾の一部としてまで機能する手作りの美しい歯車も存在しますし、例えば歯車自体が強ければ全体の寿命を延ばす事も出来ますし、例えば軽く滑らかに作られていたなら動力の助けとなって全体のパワーアップに繋がります。
何が言いたいのかというと、歯車であるには資格が要るという事と、それはそう安くないように感じるという事です。
人格や人生や命に関しては全員がオンリーワンを自覚して良いと思いますが、社会を人や組織が噛み合った複合体として1つとするなら、「社会人」という肩書きは機能面を満たして初めて名乗れるものではないかと。
最近ついに健康面以外でも自覚が生まれ始めたオジサンなりの揚げ足取りではありますが、イラストレーターなんて肩書も、まずは求められてナンボというもので。