住宅の話①日本での住まい
noteの「#住宅購入」記事は実に参考になった。同い年くらいの方がどんな検討を経て、どのような優先順位をつけて最終的にどんな選択をしているのか、ドンピシャな情報はぼかされていたとしてもそれぞれのストーリーから学ぶことがたくさんあったように思う。そこで、国際結婚をしている私たちの住宅歴(日本賃貸→日本マンション→オランダ居候を挟んでオランダ戸建て)を振り返ってみる。
一緒に暮らすまで
(夫と出会う前の)私の住まい:親の家に同居→勤務先貸与マンション一人暮らし→賃貸住宅一人暮らし
(私と出会う前の)夫の住まい:親の家に同居→持ち家マンションでルームシェア→(ここから日本)勤務先貸与マンション一人暮らし
住宅探し①
一緒に住み始めるにあたり、以下の条件で賃貸マンションを探していた。
・お互いの職場までそれぞれ30分以内
・1LDKもしくは2LDK
・予算内
いくつか見た中で、最初に二人とも気に入ったのは8階建ての8階部分・2LDK・駅まで10分程度の賃貸マンション。風通しがよく公園も近い。申し込みをするつもりで進めていたら、不動産屋さんのお兄さんから「家主さんが外国人には貸せないとおっしゃっているので・・・申し訳ないのですが・・・」というお電話をいただいた。
この時点で、夫も私もかなり堅い勤務先でフルタイム勤務だったため、属性よりも国籍で弾かれるのか・・・とショックを受けた。夫は「日本はこういう部分で差別があるのか」ともっとショックを受けていた。
その後もう一物件「外国人には貸せない」という理由で断られ、結果として条件に合うUR住宅に入居した。やはり理不尽に思ったので、今はこういう状況が少しでも変わっているといいな。
UR住宅
UR住宅は外国人でも問題なく住める。私たちは比較的大規模なUR住宅の1LDK+畳のある部屋に入居して4年ほど住んだ。高台にあり景色がよく、公共施設に近く、立地としても便利で(複数の駅に歩ける、大規模スーパーから個人商店まで買い物が便利)、公園も多く、子育て世代も多く、安心して気持ちよく暮らせた。
退去の時の査定(住宅の使用状況によって、敷金の返金が変わる)も納得のいく結果で、職員の人も親切だった。ただ、最後の一年はお隣さんが変わって、ベランダの私たちの住居側でかなり頻繁にタバコを吸う人だったので、洗濯物にタバコの匂いがついて辟易した。
住宅探し②
子どもが生まれ、住宅探しシーズン2が開幕した。夫の文化/認識では、子どもは生まれてすぐに親とは別の部屋に住むということで広い家が必要になり、産前産後休暇中・育児休業中にベビーカーを押しながら周辺の候補物件をお散歩がてら回っていた。夫は同じUR住宅内の広い部屋に移ることも考えていたが、私はこの時点で「購入したい」と決めていた。なんとなく巣作り本能で。その時の条件はこちら:
・同じ区内(保育園の都合)
・UR住宅に近い(公園やお店、住宅地の雰囲気が二人とも好きだったので)
・3LDK
・広い(ロードバイク2台を置くスペースが必要)
初めての購入に向けた家探しで認識も甘く、あまり資産性や予算については考えていなかった・・・素人もいいところ。
マンション購入
家探しを意識してから半年ほど経ったある日、ランニングの帰り道に違うルートを通ったところ、素敵なマンションを発見。その2ヶ月程度後に狙ったマンションに売り物件が出たので内覧。
築20年以上のフルリノベ物件で、周りの反応は「なんであえてそんな古い物件を?」というネガティブなものもあったり。でも、夫の国では1600年代の住宅も売っていることから(?)夫の反応は上々。何より、新築ではなかなかない90㎡超えの広さ、煉瓦造りの渋い外見、立地が好みだったので、そのまま購入申し込み。保育園にも小学校にも子どもの足で歩ける近さ。
金額は提示額より200万引いてもらった(というより、おそらく過剰な金額を当初は付けていたはず)。
ここでまた外国人夫の属性でプチトラブル:私名義で住宅ローンを借りる予定であったが、共有名義者に外国人がいると、ローンを組む人が日本国籍であっても組めない銀行が思いのほか多いことが判明(メガでもネットでも地方でも)。最終的には私と夫が共にメインバンクとしていたメガバンクの一つからokが出たのでことなきを得る。
所有の内訳は夫4分の1(キャッシュ)+私4分の3(キャッシュとローン)。変動金利0.625だったような。
マンションライフ
一目惚れで買ったようなマンションだったが、住民の方々がとっても良い方が多く(二人目が生まれた時は上階の方からワインをもらったり)、中庭には緑があふれ、横長の南向きリビングはほぼ総ガラスでポカポカと暖かく、しみじみと良いマンションだった。初めて買ったから思い入れがあるのかもしれないけど、今まで住んだ中で一番好きなお家。欧州へ引っ越した一年後に売ってしまったが、このマンションで6年ほど小さい子どもたちを育てたのは宝物のような思い出。売却が決まった時に娘は「売らないで!」と泣き、私は売った後にプチ鬱になってしまった。そのくらい、好きだったし良い思い出がたくさんある。売却話はまた後日書きたい。
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