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選挙権と夜中の自転車

夕方、よくわからない喧嘩をして

こんな31歳で恥ずかしくないのか?

と言われた。

そして、とぼとぼと私は選挙会場に向かった。

空はもう薄暗くて投票時間の終わりが迫ってきていた。

道には選挙へ向かう人、選挙から帰る人、カップル、家族…。

私は痛いほどわかっている。

自分には、何もないこと、やらなくてはいけないことを言い訳つけて逃げてること、自分の機嫌を自分でとれないこと、悲しくなったら人が行き交う道でもすぐしゃがみ込んでしまうこと、すぐ泣いてしまうこと、私にはたくさん恥ずかしいことがある。

だけど選挙権だけはあるんだな……と思いながら、消毒された鉛筆で候補者の名前を書き、投票箱へ入れた。

自宅へ帰ると

ごめんね、お家に来てよ、自転車で迎えに行くから

と電話があった。

私はすでにその時、缶ビールを開けており、電話で声を聞いても、自分の感情というものがつかめなくて……いや、興味もなくて炭酸が抜けつつあるビールを飲みながら自転車を待った。

ほどなくして自転車が止まるキィっという音がする。鉄製の階段がゆっくり音を鳴らし、玄関のチャイムが私を呼び出す。(私の家は通りに面しており、壁も薄いので外の音がよくわかる。)

なんの会話もないまま、自転車の後ろに座る。私は足が地面につかないよう、ギリギリの高さを保ちながらバランスを取る。

自転車は走る。登り坂ではスピードを落とし…下り坂では自然のままにスピードをあげて。

私の足は付いてない。

足元に目をやると夜の闇に消えそうなプランターの花やカラーコーン、看板の彩りが水筆で滲ませたように薄く引き伸ばされて見える。

勝手に私の体は移動をしていたが心だけは追いついていなかった。

足元に見える景色を見ながらなんだか、走馬灯のようだな、と思った。生まれてこの方、走馬灯なんて見たことはないが体と心がどんどん離れていく感覚がそれを思わせた。

私は今、2020年7月5日 夜の21時、なんかじゃなくて

もしかしたら小学生の時、初めて自転車の後ろに乗って怖かったあの時なのではないか…

学生最後、好きだった人と乗った自転車なのではないか…

7年前、違う街で付き合っていた人と商店街でおでん屋さんのだし汁の匂いをかぎながら帰った、あの時の自転車なのではないか…

私は今、どんどん訳のわからない渦の中にいる。自分の足ではなくて誰かが私を運んでいる。私には足がないのだ。

私はおばけだから。

足がないのだ。

自分の道を歩く足が。


そんなことを思い知らされた、今日だった。


おばけ


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