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noteの有料記事が、どうしても好きになれない

自分で仕事をしていると、無料と有料の境目みたいなものを自然と意識するようになっていく。

例えば知り合いやご紹介で依頼をしてくださった方にはちょっとサービスしたり、全く経験のない仕事が来た時は勉強代も兼ねてお安い価格で請け負ってみたり。

逆に自分が本気でコミットメントしたい仕事には、正規の値段から無闇に割引はしないでいる。
知人に「文章講座に何万も払えないよ」と言われたこともあるが、本気で参加者の方へ変化を促すことを考えると、頂くものは頂かないと色んなバランスが崩れてしまう気がするのだ。

どこまでを無料とし、何が起きたら有料とするか。
これは一概には言えないけれど、基本的に自分は「プロならではのちょっとした知識」は広告も兼ねて無料、そこから先の個人とのやり取りは有料なんじゃないかと考えている。

例えば文章の先生だったら「日記を書くときは1日のことを全て書こうとせず、その日に最も心に残った1分を15分かけて書くのがいい」といった豆知識を無料のブログで書いたりする。

だがこのアドバイスで皆が皆、日記を書けるようになるとは限らない。
「そうはいってもできないんです」という人は、どこかちょっとしたプロセスでつまづいているので、オンラインや対面で直接お話を聞きながら添削すると、書けない原因と対策が見えてくる。
こうした個人個人への対応のセッションは有料でするべきではないか、というのが今のところ持論である。

だからだろうか。自分は「ここから先を読みたければ○円払ってね」というnoteの有料記事がどうにも好きになれない。

オンラインサロンやメールマガジンなど、メンバーシップ活動の一環として有料noteを使うのは理解できる。
例えば月額いくらでnoterへの質問し放題とか、月4本のエッセイが読めるとか。この人のサービスを受けたいと納得している人たちへの有料サービスはどんどんやればいいと思うのだが「おお、この記事面白そう」とフラッと寄ってくれた人に「ここから先に行きたければ有料だよーん♫」とやっているのを見ると「そんな商売やって大丈夫か?」と聞きたくなる。

以前「こうすれば絶対に書籍を出版できる!」という動画教材(40万円)を購入してみた。

「これを購入すれば、書くことを仕事に出来るんですよ!在宅で好きな時間に仕事が出来るんですよ!もう一生お金に困ることはないんですよ!!」という売り文句に負けて一括購入し、その動画の言う通りに書いた企画書を30社に送ったものの、返事はなかった。

また私の友人は出版社の人から「あなたは素晴らしい活動をしてますね。本を書きませんか?」と言われて喜んで打ち合わせに行ったものの「本を出したければ、まず弊社のライティングスクール(入学金何百万)に通ってください」と言われ、落ち込んでいたことがあった。

結局、商売というのは信頼関係の上に成り立つものなのだ。
それらしく並べた言葉で例え大金を稼げても、おそらく実のない形で散っていってしまう。
逆に「この人から買いたい」「こんな素敵な商品を作っているこの会社を応援したい」というエネルギーが循環した状態で売り買いしたお金は、より大きくなって本人のところに返ってきているのを、真っ当なやり方で商売している人を見るたびに感じる。

もちろん有料noteが全ていけすかないというわけではない。自分だってフォロワーさんがもう少し増えたら、楽しい有料サービスをやってみようかなとも考えている。要は使い方に品性が出るという話だ。そして心優しいユーザーが多いnoteの利用者さんたちをガッカリさせるような有料記事は、無くなってほしいだけなのだ。

行動に波動が乗って、人に伝わる。純なエネルギーは売上やフォロワー数といった数字で計れるものを遥かに超えて、必要な人に必要なタイミングでただ届くように、この世界はできている。









今日もお疲れ様でした。
こちらの美味しいコロッケエッセイもぜひご覧ください。

この時代のこの世界に生まれてきた意味を、文章から探る講座。

入門編は毎月開催中。7月27日(土)、まだお席ございます。


Windowsが使えなくなったり新幹線が止まったり、みなさま大丈夫でしょうか。
どなたさまもつつがなく、お元気に、ご無事で。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
明日も適当にしっかりで参りましょう〜〜。

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