長く熱い連取が終わりを告げた。「仕事も遊びも真剣に」というモットーをかかげているわけではないが、どんな日であっても練習で手を抜くことは決してない。
 外はすっかり寒い時期だというのに、長時間の練習をやり切った猛者たちの全身には滝のような汗が流れていた。
 清志が持っていたタオルで汗ばんだ顔を入念に拭いていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
 顔をあげればそこにいたのは角田であった。
「お疲れ様でした。」
 清志はスッと立ち上がると、清志に向かって頭を下げた。
「おお、おお。そんなことするこたあないって。」
「はい。」
「まあ座ろうや。」
 角田に促されるようにして、清志は練習室の床に腰を下ろした。
「最近、よくなってきてるじゃねえか。」
「ありがとうございます。」
「俺の目に狂いはなかったな。」
角田はどこか遠くを眺めながら静かに頷いた。
「ありがとうございます。」
「どうなんだ、最近学校の方は。」
「ぼちぼちですかね。」
「そうか、それなら十分だ。」
「はい。」
「そういや、あれ見たか?」
「あれ、ですか。」
「少し前にやってたろ、なんちゃら月食とか言うのが。」
「ああ、はい。皆既月食でしたっけ。」
「なんかそんな奴だったかもな。で、見たのか?」
「ああ、はい。一応当日学校の方でも今日は月食だから見てみなさい、って。」
「そんなこと言われるのか。」
「はい。普段は色々やりたいことがあって落ち着いて月なんて見ないだろうから、今日くらいはみてみなさいって言われました。」
「ほお。なかなか粋な先生がいるこった。」
「竜さんは見られたんですか。」
「ああ。うちのかみさんにも、もう始まったわよ、なんて急かされたもんだから、ちらっと見てやったわ。」
「そうだったんですね。」
 普段の角田からは少し想像しがたい姿に、清志は思わず微笑んだ。
「まあ見てどうだったかなんて言うのは正直俺は分かんねえけど、あれは400年ぶりとかだったんだろう?」
「そうですね。日本で見られるのは442年ぶりとか言ってました。」
「そればっかりはすげえよな。」
「うん、そうですね。」
「次に見られるのも300年後とかなんだろ。」
「え、そうなんですか?」
「おお。ニュースで言ってたよ。」
「それはすごいなあ。」
「改めて、なんて人間のちっぽけなことよ、って思ったもんだ。」
「人間なんてせいぜい100年やそこらですもんね。」
「そうだ。」
 角田は強く頷いた。
「いくら俺みたいな年長者が偉そうに言ったところで、この前の奴なんてのはみんな初めて見たんだからな。」
「ああ、そっか。みんななんですもんね。」
「そうだ。そう考えたら、年食っただけで威張るような奴にはなっちゃいけねえよ。」
「なるほど。」
「まあそんな話をしてるこの話が、既に説教臭くてなんねんだけどな。」
 そう言うと角田は清志の返事も聞かずに笑いながら立ち去って行った。そんな角田の後ろ姿を見ながら思わずにやけてしまう清志。
清志にとって尊敬の対象でしかない角田の発言は、全てが財産となる気がした。

この記事が参加している募集