フライト

 純恋は少しそわそわした気持ちで、六時限目の終了を告げるチャイムを聞いていた。
(やっと終わった。)
純恋はチャイムが鳴り終わるとそんなことを思った。
いつもならそこまで急ぐことなく支度をする純恋だったが、今日はすぐに荷物をまとめると、帰りの会が終わればいつでも陽乃の元に駆け寄れるように準備を整えた。
そして形式じみた帰りの会が終わりを告げると、すぐに陽乃の席に向かった。
「とりあえずここじゃなんだし、一旦教室でない?」
「うん。」
 純恋には陽乃の表情が曇っているのが見てとれた。
 純恋は陽乃の腕を取ると、強く引っ張りながらとりあえずは中庭を目指した。

 中庭に着くと純恋の予想通り、中庭には誰もいなかった。
 昼休みともなると、お弁当を持った学生たちでにぎわう中庭だったが、放課後は部活に勉強に遊びにと、まちまち予定があるため、あまり中庭を使う生徒はいなかった。
 それでも一応は端の方にあるベンチまで向かい、まずは陽乃を座らせてから純恋も隣に座った。
「で、どうしたの?」
「その、純ちゃんからしたら大したことじゃないかもしれないんだけど……」
「そんなこと気にしないでいいから。」
「うん……」
「フライトの心得みたいなのを知りたくて。」
「フライトの心得?」
 純恋は何のことか全くわからなかった。
「あの、実はね、今度家族で沖縄に旅行に行くことになって。」
「へえ、いいね。」
「うん。でも私、沖縄なんて言ったことないし、というかそれ以前に飛行機に乗るのも初めてで、それで……」
「ああ、そういうことね。」
 純恋はやっと合点がいった。
「くだらないことでごめんね。」
「全然。なんかもっと怖いことまで考えちゃってたから、少し安心した。」
「ごめんね。」
「いいのよ、友達なんだから。ね?」
 純恋は陽乃の目をしっかりと見つめてから、よかった、と言いながら陽乃に抱き着いた。
「純ちゃん?」
「あ、ごめん。」
 純恋は慌てて陽乃から離れると少し頬を赤らめた。
「で、なんだっけ。フライトの……」
「心得。」
「ああ、そうだったわね。」
「純ちゃんは何度も飛行機に乗ったことあるでしょ?」
「そうね。」
「だから色々聞きたくて。」
「なるほどね。」
 純恋は口元に手を置き、少し考えた。
「まあでも大方問題はないと思うわ。」
「そうなの?」
「うん。同じ国内だし、家族旅行ってことはおうちの人もいらっしゃるんでしょ?」
「うん。」
「じゃあ大丈夫。あ、でも一つだけ。」
「なに?」
 陽乃は前のめりに尋ねた。
「耳抜きの方法だけでも覚えておいた方がいいかも。」
「耳抜き、なんか聞いたことあるかも。」
「でしょ。飛行機って当たり前だけど空高いところを飛ぶから、気圧の差で耳が痛くなっちゃうことがあるの。」
「そうなの?」
「うん。だからそういうときは『バルサルバ法』っていう手段を取るの。」
「バルサルバ法?」
「まあ名前は覚えなくていいんだけど、ダイビングとかする時にも使う方法なの。」
「へえ。」
「息を吸ってから鼻をつまんで、耳から空気を抜くの。」
「え、耳から?」
「そう。ちょっと練習してみよっか。」
「うん。お願いします、先生。」
「先生なんてそんな。」
 二人は静かな中庭でそんな会話を繰り広げるのだった。

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