アリ、時々キリギリス 雨の街編 -肆-

前回まで。

 それからどれくらいの日にちが経っただろうか。ある日、カクリがいつものように仕事を終えて帰ろうとすると、後ろから声をかけられたのだった。
「どうも。」
 カクリが振り向いた先にいたのは、ハノではなく、ミトミだった。
「ミトミさん。この前はご馳走様でした。とても楽しかったです。」
「ああ、こちらこそ。うちのハノが急に声をかけてしまったようで、すみませんでした。」
「いえいえ、むしろありがとうございました。」
「仕事終わりですか。」
 ミトミはカクリを見てそう尋ねた。
「はい。」
「じゃあちょっとどうです、私の部屋でコーヒーでも。」
 ミトミはカップをクッと持ち上げる動作をしながら尋ねた。
「ああ、はい。お願いします。」
 正直、突然の提案に不安しかなかったが、ミトミのその雰囲気に気おされ断ることができなかったカクリは、ミトミの後ろについていった。

 案内されたミトミの部屋は整理整頓がびっちりされ、掃除の行き届いた綺麗な部屋だった。
「適当にそこらへんに座ってください。」
 ミトミが示す方向には、おそらく高級なソファーなのだろう、大きなソファーが一つ悠々と鎮座していた。
「では、失礼します。」
 ひとたび腰を掛けると、日ごろの疲れが吹っ飛ぶかのような満足感があった。そんなソファーに腰かけながら、座ることはおろか、久しくこんないい心地の場所で寝てないことを思い出した。
「大丈夫ですか。」
 あまりの心地よさにカクリは変な顔をしていたのだろう。心配そうにミトミはそう尋ねた。
「ああ、大丈夫です。すみません、こんないいソファーに座ったのが初めてだったもので。」
「ああ、そういうことでしたか。このソファーは私も結構こだわってるんですよ。まあとりあえず一旦、落ち着いてください。」
 少しすると秘書らしき女性が、二人分のコーヒーとお茶菓子を持ってきた。
「どうぞ、飲んでください。この豆にも結構こだわってるんですよ。」
「では、いただきます。」
 見るからに高そうなカップに注がれたコーヒーを口に運ぶカクリ。鼻を抜けるようないい香りがする。
「ああ、美味しい。」
「そうでしょう。」
 普段はインスタントのコーヒーしか飲まないカクリにとって、大きな感動だった。
「ではそろそろお話の方を。」
 ミトミのその言葉に、カクリはコーヒーカップをテーブルの上に置くと今一度姿勢を正した。
「いやそんなかしこまった話をするわけじゃないんですが、単純に気になりましてね。」
「気になる、というと?」
「なぜ一ヶ所に定住するのが常のはずの、アリ型亜人でいらっしゃるあなたが旅をしてるのか、と。」
「ああ、なるほど。」
「差し支えなければ教えてもらえますか。まあ老人のちょいとした興味ですよ。」
「まだまだ、お若いじゃないですか。」
「またまた、口がうまいんだから。あや、まさかやましい過去が?」
「まさか、そんな。」
 カクリは大きく首を横に振った。
「いやそうですよね。わかってましたとも。」
 ミトミはニヤリと笑う。
「で、どうして。」
「ある本がきっかけなんです。」
「ほお、タイトルは。」
「あの、『タナカミノルハタビヲスル。』っていう本なんですけど、ご存じですか。」
「ええ、もちろん。私も読んだことありますよ。結構昔の本じゃないですか。」
「あ、はい。そうです。」
 ミトミが知っていたことが嬉しくなり、カクリは嬉しそうに答えた。
「あの本を読んで、非常に感銘を受けまして、ああ世界はこんなに広いんだ、と。僕も自分の足で旅をしてみたいな、とそう思ったんです。」
「はあ、それで旅を始めたんですか。」
「はい。そしていつかは、あのタナカミノル先生のように、僕も今この時代の世界を本として収めたいな、と。」
「うん、それはなかなかに夢があっていいじゃないですか。それに、こう言っちゃあ失礼かもしれませんが、定住するのが常のアリ型亜人がってのがまたいい。」
 ミトミはそう言うと、豪快に笑った。
「実は、僕自身、そういう考えがないわけでもないんです。」
「ほお、なかなか話が分かるみたいですね。」
 ミトミは少し身を乗り出した。
「まあただ書くだけじゃ自己満足に過ぎないですからね。」
「うん、残念ながらその通りですな。」
 ミトミは何度も頷いてから、コーヒーをあおった。
「おや、ということはですよ。カクリさんがフリーパスの登録をフルネームでしているのも、タナカミノルさんに習って何ですか。」
「いやそれは……」
 気まずそうに首元を掻くカクリ。
「それはただの失敗です。」
「ははは、意外と天然なんですね。」
「はい。」
 カクリは気まずそうに笑った。
「それで具体的に、カクリさんの旅行記には、どういうことを書くつもりなんですか。」
「そうですね、ベースとしては日記形式のような、そういうものを想定しています。」
「なるほど。確かにそれだと、まるで自分自身も旅しているかのように思えるかもしれませんね。」
「ありがとうございます。それとは別に、こうやってミトミさんのような、現地に住まわれている方から聞いたお話や、その地域に伝わる伝説や文化、名所なんかも取り入れられればな、と。」
「うんうん。旅行記でありながら、観光ガイドや歴史書の側面もあるんですね。いやあそれはなかなかに面白そうじゃないですか。」
「ありがとうございます。」
 ここまで自分の夢をあまり話したことはなかったので、不安な気持ちも大きかったが、あの時ミトミからの誘いを断らなくてよかった、と今になって思うのだった。
「そしたらどうです、私も少し協力させていただきませんか。」
「え、いいんですか。」
「もちろんもちろん。」
 ミトミは偉く楽しそうである。
「もちろん今ここで話すんでもいいんですがね、ここはどうでしょう、一つお手伝いをしていただくというのは。」
「お手伝い、ですか。」
「うちのハガの方からもカクリさんの仕事っぷりについては色々と聞いてるもので、少しばかし手を貸していただけないかと。」
「は、はあ。」
「というのも、カクリさんは七七七(ヨロコビ)というお米を知っておられますか。」
「ええ、もちろん。雨が降れば降るほど育つという、こちらの名産品ですよね。」
「ああ、よくご存じで。いや実はですね、そろそろそちらの収穫時期が近づいていて、今そちらの収穫をお手伝いしてくださる方を募集しているところなんですよ。」
「ああ、そういうことですか。」
「もちろん普段引き受けてくださっているダムの修繕なども喜田恵独特の文化ではあるんですが、せっかくならこちらの方もいかがかな、と。」
「なるほど。」
 確かに、全国的に見ても有数の米どころであり、この喜田恵ならではのブランドである七七七には、この街に足を運ぶ以前から興味はあった。また、この地方を語る上では欠かせない七七七についてもいずれは調べていこうと思っていたのだ。
「一週間ほど泊まり込みで働いていただく必要はあるんですが、もちろんこちらの方も弾みますし、それこそ、味は全く変わらないのに売り物としてはちょっとなんていう七七七も食べていただけますよ。」
「え、本当ですか。」
 ミトミからの予期せぬ提案に、カクリは自然と心躍った。
「もちろん無事収穫が終わりましたら、私の方からも、この地域に伝わる伝承など、色々とお話させていただければと。」
「それなら、是非。」
「本当ですか、はあ、これはありがたい!」
 ミトミは今日一番の笑顔でそう言った。
「せっかくですから、テトさんもご一緒にいかがですか。」
「いや彼はちょっと……あまり力仕事には向いてないというか。」
「いやいや、少しでもほしいところなんです。聞いてみるだけでも、ね。」
「分かりました。」
 ミトミからの圧を断るに断れなかったカクリはしぶしぶ了承した。
「では詳しいことはまた。こちらから追って連絡しますので。」
「はい、お願いします。」
 カクリは思わずくつろぎ切ってしまっていたソファーから立ち上がると、深々とお礼をした。
 ギルドを後にしたカクリは、思わぬ形で面白い仕事が舞い込んできたな、といつになく嬉しそうに帰路に着くのだった。

「ていう話なんだけど、どう。」
 カクリはテトと二人、部屋で酒を飲みながら先ほどのミトミからの提案を話した。
「うーん、悪かないんだけどな。」
「意外。真っ先に断るかと思ったのに。」
「おいおい、俺は音楽家。クリエーターだぜ。新しい環境に身を置くことで、いい曲が生まれるかもしれないじゃねえか。」
「え、酔ってる?」
 まだそれほど飲んでいないはずなのに、妙にカッコつけたことを言うテトに少しイラっとしながらカクリは尋ねた。
「まあ酔ってるちゃあ酔ってるかな……自分の才能に。」
 テトはここぞというときに見せるドヤ顔でそう言い放った。
「はいはい。」
 カクリは適当な返事をしながら、つまみを口に運ぶ。
「おいおい、悲しい反応するなよ。」
「で、どうすんの。」
「んだよ、そっけないなあ。わかったよ、やるよやる。」
「え、いいの?」
「まあせっかくの機会だしな。」
「じゃあ、明日伝えておくよ。」
「おお、頼むわ。」
 テトは冷蔵庫に向かうと、ビールを二本取り出し、一本をカクリに投げた。
「いやまだ残ってるから。」
 カクリは手に持っているグラスに入った酒を見せた。
「バカ野郎、新しい仕事が舞い込んできたんだ。ここは新しい酒で乾杯だろ。」
 プシュっと缶ビーツを開けるテト。カクリも、えー、という表情を浮かべながらも、テトに従って缶ビールを開ける。
「では新たな門出に、乾杯!」
「乾杯―。」
 カクリは一口口をつけるとテーブルの上に置いたが、テトはぐびぐびと喉を鳴らしながら飲み干すのだった。

 そして次の日、いつものようにカクリがギルドに向かうと、まだ早朝だというのにミトミが嬉しそうに声をかけてきた。
「カクリさん、どうでした。」
「どう、と言いますと。」
「テトさんですよ。」
「ああ、行くそうです。」
「本当ですか。はあ、これはありがたい。」
 ミトミはしみじみとそう呟く。
「そうしたら、ちょうど一週間後、朝五時にこちらに集合してもらっていいですか。」
「朝五時ですか、結構早いんですね。」
「水田地帯まではここから結構な距離があるんですよ。」
「ああ、そうなんですね。」
「乗り物はこっちの方で用意しますんで、安心してください。」
「わかりました。僕たち二人だけなんですか。」
「いえ、まさか。この時期になるって言うと、結構これ目当てで働きに来るフリーパスの方も少なくないんで、もう何人かはいると思いますよ。」
「わかりました。」
「他に何か質問などは。」
「いや、今のところは。」
「そうですか。じゃあまたなにかありましたらこちらのギルドにお問い合わせください。」
「はい、お願いします。」
 ミトミは軽く手で挨拶をすると、軽快にその場を去っていった。
 それから一週間は特に変わり映えのない日々を過ごしていたが、いよいよ出発を明日に控えた前夜、二人はヒロノと話すべくフロントへと向かった。
「すみません。」
「はいよー。」
「あ、夜分遅くにすみません。」
「なんだい?」
「実は明日の早朝から二人で七七七の収穫に行くので、部屋を引き払おうと思いまして。」
「ああ、そうかい。それ目的で喜田恵に来てたのかい。」
「いえそれが、色々縁がありまして、ミトミさんから誘っていただいたんです。」
「へえ、あの堅物のギルドマスターがかい。」
 ヒロノは相当驚いたのだろう、目を見開いて驚いていた。
「あんたら、相当気に入られてるね。」
「ありがとうございます。」
 カクリは照れ臭そうにそう答えた。
「照れるんじゃないよ。」
「すみません。」
「てことで、精算してもいいかい、ヒロノさん。」
 テトが横からそう尋ねる。
「精算するのはいいけど、収穫が終わったらそのままこの街後にするのかい。」
「いや、数日はお世話になると思います。」
「そうかい。そしたら、部屋は残しておこうか。」
「え。」
「とりあえず今ここで今日までの料金を精算をしてもらって、帰ってきたらまた同じ部屋に泊まればいい。もちろん、その間は部屋の代金取ったりしないから。」
「え、いいんですか。」
「まああんたら迷惑な客じゃないし、二人ともフリーパスなんだろ?いいよそれくらい。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
「ありがとよ、ヒロノさん。」
 テトも嬉しそうにそういった。
「じゃあ、二人分で、これで。」
 カクリは財布を漁ると、ぴったり二人分の宿泊費を支払った。
「はい、ちょうどね。じゃあ、おやすみ。」
 そう言うとヒロノは先ほど支払ったお金を持ちながら戻っていった。
「いいとこ泊まったね。」
「おお。アジサイちゃんにまた感謝しに行かないと。」
「はいはい、収穫が終わったらね。」
 カクリは鼻で笑いながらそう答えた。

 そして朝。いつもよりも数時間早く起床をし、昨晩準備を済ませた荷物を持った二人は、民宿雨宿を後にしようとしていた。
「ちょっと待ちな。」
 声のする方を見るとゆっくりと歩いてくるヒロノの姿。
「ヒロノさん、おはようございます。」
「はい、おはよう。ほれ、これ。」
 そういうとヒロノは包みを二つ見せてきた。
ヒロノから包みを受け取る二人。
「弁当だよ。」
「え、いいんですか。」
「ああ。容器は捨てられるやつだから、包みだけ返しに来な。」
「ありがとうございます。」
「ヒロノさん、ありがとな。」
「収穫頑張っといで。」
 早朝にもかかわらず弁当と元気をもらった二人は、ヒロノに見送られながらギルドへと向かうのだった。


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