すき焼き

 並々入っていたビールを、ごくごくと喉を鳴らしながら一気に飲み干す蕪木の様子を、天野はただただ見ていた。
「はあ、美味しい!やっぱり仕事終わりのビールは格別ね。」
 ジョッキを机にこつんと置くと、蕪木は満面の笑みを浮かべてそう言った。
「そうですね。」
「あれ天野先生あんまり飲んでないけど……ごめんなさい、もしかしてお酒苦手だった?」
「あいえ、そうじゃないです。いただきます。」
 そう言ってジョッキを口元に持っていく天野を制止する蕪木。
「無理しないで。楽しく飲みましょ。」
「はい。」
「天野先生は、お酒はよく飲むの?」
「うーん、一人ではなかなか飲まないですね。こういう飲みの席でくらいです。」
「ああ、そうなんだ。私は毎日家で飲んじゃうのよ。」
「そうなんですか。なんか意外です。」
「よく言われるわ。学生の頃なんかもね、もっと可愛く飲めよなんて、サークルとかで言われてたのよ。」
「そうだったんですね。」
 天野は思わず笑ってしまった。確かに、蕪木くらい綺麗な女性がビールを一気に飲み干している光景を見たら、思わずそう言ってしまう男もいそうである。
「あ、すいません……」
 笑ってしまったことを謝る天野。
「いいのいいの。なんかさっきより仲良くなれた気がするわ。」
 コンコン、と再び扉を叩く音。
「失礼します。お料理の方、お持ちしました。」
 扉が開くと、そこにはお盆を持った先ほどと同じ女性、そしてその隣には蓋のされた大きな鍋が一つ。
「こちらが冷製トマトときゅうりの叩きですね。」
「ありがとうございます。」
「少し失礼しますね。」
 そう言うと、女性は大きな鍋を机の上に乗せ、お盆の上のチャッカマンを取り出し、自分の袖を持ちながら鍋の下に火をつけた。
「こちら火の方が消えましたら、お召し上がりくださいませ。」
「ありがとうございます。」
 天野も軽く一礼をする。
「すみません、生一つ。あ、天野さんは?」
「私はまだ大丈夫です。」
「じゃあそれでお願いします。」
「かしこまりました。他のお料理も後程お持ちいたします。」
「お願いします。」
 女性はまた一礼すると、扉をしゃっと閉めた。
「何鍋なんですか。」
 蓋の様子をうかがいながら蕪木に尋ねる天野。
「何鍋だと思う。」
「うーん、水炊き鍋とか。」
「残念。」
「ええ、なんだろう。」
「ほら、いい匂いがしてこない?」
 蕪木にそう言われ、鼻をひくひくとさせてみる。
「あ確かに。何だろう、甘いっていうか、いい匂いがします。」
「でしょー?」
 まるで自分のことを褒められたかのように、どこか誇らしげな表情の蕪木。
「正解は、すき焼きなの。」
「え、すき焼きですか?」
 まさかの答えに驚く天野。
「でも、すき焼きって言ったら、高級なんじゃ。」
「いいのいいの、今日は私がご馳走するから。」
「ご馳走だなんて。それならなおさらですよ。」
 目に見えてあたふたする天野を見て、蕪木は少し意地悪そうな顔をしながら笑った。
「本当大丈夫だから。ここね、こんなに料理が美味しいのに良心的な値段なの。」
 噂話をするかのように蕪木は言った。
「本当ですか?」
 天野は疑り深い目をしながら問いかける。
「本当本当。だから遠慮しないで。」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。」
「うんうん、そうでなくっちゃ!」
 ちょうどそのタイミングで、扉を叩く音が再び。そして開く扉。
「お飲み物の方、お持ちしました。」
「ありがとうございます。」
 満面の笑みでビールを受け取った蕪木は、もう一度乾杯をしましょう、と提案した。
「それじゃあ、もう一度……」
「「乾杯―!」」
 夜はこれからよ、と言いながら、二杯目のビールもごくごくと飲み進めるのだった。

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