アリ、時々キリギリス 雨の街編 −壱−

 街に近づいてくるにつれて、先程まで晴れ渡っていたはずの空が、みるみると曇り出してきた。
「ありゃあ雨雲じゃないか。」
 テトは空を指さしながらそう言った。
「本当だ。さっきまでは一面青空だったのに。」
 カクリが振り返ってみると、後ろにはまだ真っ青な空が広がっていた。
「心なしか、雨の日の匂いもしてこないか?」
 テトはそう言いながら大袈裟に鼻をひくつかせた。
「てことは、もう近いのかな。」
「間違いない。もうそろそろだ。」
 街に向かって歩みを進めれば進めるほど、どんどんと雲行きは怪しくなっていき、カクリも雨の匂いを感じ始めた。
「おい、もしかしてあれって……」
 そう言うとテトはおもむろに走り出し、カクリも彼の後ろを追って走り出した。
「やっぱりそうだ。ほら。」
 テトが指さす方向には、カクリが今までに見たことのない光景が広がっていた。
 雨の終わりと呼ぼうか、それとも雨の始まりと呼ぼうか。ちょうど目の前の場所から雨が降り始めているのだった。
「これが喜田恵(キタエ)名物の『雨の端』(あめのはし)ってやつだ。」
「すごい……」
 あまりの衝撃に、カクリの口からはそんな粗末な感想しか出てこなかった。
「おいおいおい、カクリ先生よ。もっと深みのある感想はないものかね。水たまりより浅い感想を言ってからに。」
「先生はやめろって。でも、確かに……」
「まあでも、カクリの気持ちも分からんでもない。これはなかなかにすごい光景だからな。」
 テトはうんうんと頷いた。
「『雨の端』が見えたってことは、もう本当にすぐ着くさ。」
 そう言うとテトは、オリジナルの雨の歌を歌いながら上機嫌で進んでいった。カクリもその歌を聞きながら着いていくのだった。

「許可証は?」
 喜田恵に着くと、カエル型亜人の衛兵は、ぶっきらぼうに尋ねてきた。
「これでいいかい。」
 テトはギルドメンバーの証であるギルドカードをひらひらとちらつかせながら見せた。
「なんだ、フリーパスか。」
「なんだとは何さ。」
「いや、別に……」
 口ごもる衛兵。カクリはそのぴりついた空気を換えようと、いつも以上に元気に話した。
「あ、僕もこれ。フリーパスです。」
「ああ、ありがとう。街に入ることを許可するよ。」
「ありがとうございます。」
 カクリはまだ衛兵の方を睨んでいるテトを引っ張るようにして街へ入った。
「おお、着いた着いた。」
「雨の街・喜田恵にようこそ!」という看板を見つけ、カクリはわざと大きな声でそう言った。
「ああいう門番はなんとかならないもんかね。」
 テトはまださっきのことを根に持っているようだった。
「まあまあ。それにしても、本当にずっと雨が降ってるね。」
「そういえば。街に入る前からそうだったが、見事なもんだよ。」
「さすが、雨の街っていうだけはあるね。確か、雨の降らない日は週に一回あるかないからしいよ。」
「はあ、難儀なこった。」
 テトはやれやれと言った表情で、首を横に振った。
「カクリ、このあとどうするよ。」
「とりあえずは、ギルドに行った方がいいかな。」
「まあそうか。」
 テトは辺りを少しの間見回し、
「多分あのデカい建物がギルドだな。」
と、目の前にある建物の中でも一番大きな建物を指さしてそういった。
「そうだね。とりあえず行こう。」

 喜田恵のギルドは、他のギルドと特に大差ないように思えたが、傘置き場の数だけは今までにないほど多かった。
「さすが雨の街だ。見ろよ、傘置き場だけで狭いホテルの一室くらいあるぜ。」
「本当だ。てっきり傘なんてささないのかと思ってたよ。」
「まあギルドには俺たちみたいな、部外者も大勢いるからな。」
 テトは皮肉たっぷりにそういった。
 入り口で番号札を貰うと、二人はソファーに腰かけた。
「この街は意外と過ごしやすいかもな。」
 テトはおもむろにそういった。
「なんで?」
「ほら、見てみろよ。」
 カクリはテトに言われるままに周りを見渡した。
「他の街と違うところがあるだろ。」
「違うところ?」
「ほらそいつとか、あっちのあいつとかも。」
 テトは目くばせしながら、小声でそう言った。
「うーん……ああ、本当だ。カタツムリ型亜人に、ナメクジ型亜人。僕たちと同じムシ型亜人がたくさんいるね。」
「だろ?やっぱりムシ型亜人ってだけで、毛嫌いされることもあるからな。こういう環境ってのはありがてえよ。」
「確かにね。」
 そうこうするうちに、二人の番号が呼ばれ、二人は窓口に向かった。
「喜田恵ギルドへようこそ。」
 窓口に立っていた女性は、カタツムリ型亜人だった。
「どうもー。えっと、お名前は。」
「雨咲(うざき)と言います。」
「ほおほお。それで、下の名前は?」
「え、下の名前ですか?」
 窓口に立っていた女性は少し面食らったようだった。
「テト。」
 カクリは低い声でそう言った。
「いいじゃんか、名前くらい。」
「ふふふ。紫陽花(アジサイ)、雨咲 紫陽花です。」
 アジサイは笑いながらそう答えた。
「アジサイちゃんね、よろしく!」
 テトは帽子をちょこっと外し、軽快に挨拶した。
「今日はどういったご用件でしょうか。」
「実は仕事を探していまして。」
「かしこまりました。ギルドメンバー様でいらっしゃいますか?」
「はい。僕たち二人ともフリーパスです。」
「フリーパス会員様でいらっしゃいますね。以前喜田恵に来られたことはありますか?」
「二人とも初めてです。」
「かしこまりました。そうしましたら一度、ギルドカードをご提示いただいてもよろしいですか。」
 二人は自分のギルドカードを差し出した。
「まずは、テト様ですね。」
「どうも、アジサイちゃん。」
 アジサイは静かに微笑んだ。
「テト様のご希望の職種はございますか?」
「俺はそうだな、演奏許可を頂ければと。」
「かしこまりました。そうしましたら、あちらのエンタメ部門へお願いします。」
「了解。」
 アジサイを完全にロックオンしたのだろう、テトはいつも以上に元気に答えた。
「次が、えっと、え……」
 アジサイは思わず黙り込んでしまった。
「ああ、ごめんね、アジサイちゃん。こいつ変わりもんで、本名で登録したのよ。」
 おかしな空気を察して先に話し始めたのはテトの方だった。
「あ、そうなんですね。なんかすいません。」
「いやいや、こいつがおかしいだけだから。」
 テトは相変わらずニコニコしていた。
「やっぱり本名で登録するやつなんて珍しいよね?」
「いえまあ……」
「大丈夫大丈夫、本当のこと言ってやってください。」
「そう、ですね。あまりいらっしゃらないですかね。」
「ほら見ろ、だから言ったろ。」
 テトは勝ち誇ったかのような顔でそう言った。
「そしてカクリ、アジサイちゃんが驚いたポイントはそこだけじゃないぞ。なんでアリ型亜人であるお前が旅なんかしてるのか、ってことだ。」
「いえそんなことは。」
 アジサイは慌てて否定した。
「本当?いやでも気になるでしょ、なんで一ヶ所に定住するはずのアリ型亜人がこんな……」
「テト、いい加減にしろ。」
 カクリはにらみを利かせながらそう言った。
「こりゃあすまなかった。」
 テトは帽子を取ると、ペコっと頭を下げて見せた。
「続きはご飯に行ったときにでも。」
 テトは取った帽子で口元を隠しながら、アジサイに耳打ちをした。
 この一連の芝居が、アジサイを落ち着かせるためのものだとわかっていたので、カクリもそれ以上は深く追求しなかった。
「すみませんでした。僕は、土木とか力仕事を紹介していただければと。」
「あ、はい。かしこまりました。」
 アジサイは落ち着きを取り戻しながらそう答えた。
「そうしましたら、あちらの土木部門へ行っていただいてもよろしいですか。」
「ありがとうございます。」
 二人はギルドカードを返却してもらうと、それぞれ紹介された場所へと向かった。

 土木部門へ向かったカクリは、案内されるまま、カエル型亜人の受付へと向かった。
「城颪 蟄離様ですね。」
 いかにもベテランという風格のこの亜人は色々と慣れているのだろう。本名で登録されたギルドカードを見ても顔色一つ変えずに応対した。
「カクリで結構です。」
「失礼。ではカクリ様、何か苦手なことはあったりしますか。」
「特にありません。」
「多少重労働でも構いませんか?」
「ええ、もちろん。」
「そうしますと、ダムの修繕事業。こちらに行っていただいてもよろしいですか。」
「ダムの修繕ですね。」
「何分、雨の街なんて言うもんですから、しょっちゅう見なきゃいかんのですよ。」
「なるほど、了解です。」
「ちなみにいつから働けますか?」
「明日からでも。」
「おお、そりゃあよかった。じゃあ明日、とりあえずは一回目ですので、朝八時にギルド前に来ていただけますか?」
「了解です。よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」
 土木部門での話を終えたカクリは先ほどの入り口に戻った。
「おお、カクリ。こっちだ、こっち。」
「テト、仕事もらえたよ。早速明日からだ。」
「おお、いいねえ。俺も許可がもらえたから、今からだって演奏できるぜ。」
 テトはどや顔でそう言った。
「今はやめてくれよ。とりあえず宿でも探そう。」
「そうさな。うーん、そうだ、アジサイちゃんに聞いてみないか。」
「え?」
 カクリは怪訝そうな顔を浮かべた。
「いや別に他意はないさ。でもまあこの街のことは、この街の亜人に聞くのが一番かな、と思ってさ。な!」
 そうだけ言うとテトは、ススス、と窓口に向かっていった。
「アジサイちゃんどうも、さっきぶり。」
「あ、どうも。お仕事は見つかりましたか?」
「もちろんよ。アジサイちゃんのおかげで完璧よ。」
 こういうときのテトはとても調子が良かった。
「で、アジサイちゃんに聞きたいことがあるんだけどさ。」
「なんですか?」
「今夜空いてる?」
 カクリはここぞとばかりにテトを引っぱたいた。
「いってー!」
「ふざけすぎだ。」
 アジサイはまた静かに微笑んだ。
「すみませでした。ちょっとお聞きしたいことがありまして。」
「はい、何でしょう。」
「ここらへんで泊まれるいいところってどこかありますか?」
「泊まれるところですか……」
「俺はアジサイちゃんの家でも構わないぜ。」
 負けじと入ってくるテトにイラっとしたカクリはさっきよりも強い力で引っぱたいた。
「ホントすみません。」
「いえいえ、面白いからいいですよ。」
「ほらな!」
「テ・ト。」
「分かったよ。」
 テトはバツの悪そうな顔をした。
「ここらへんで一番近いところですと、舞馬亭(ブバテイ)になりますかね。」
「まあ結局そうなっちゃうよな。ギルドあるところに舞馬亭あり、とはよく言ったもんだ。」
「ちなみに、他にはありますか?」
「そうですね、フリーパスの方となると……」
 アジサイは渋い顔をしながら、机の上にこの周辺の地図を広げた。
「やっぱりフリーパスは生きづらいんだよ。さっきの門番だって見ただろ?」
「まあまあ、分かってて自分たちで選択した事だから。」
「そりゃあそうだけど……」
 テトは口ごもった。
「あ、ありました!」
 アジサイは急に大きな声でそう言った。
「ビックリしたなあ。」
「す、すみません。」
「このお詫びはデート一回ね。」
「そういうのはいいから、話を聞こう。」
「はいよ。」
「ここから少し離れてはしまうんですが、民宿雨宿(アマヤドリ)という場所があります。」
「民宿雨宿か。」
「すみません、ど忘れしちゃってて。実はこの民宿を作られた方がフリーパスだったので同じフリーパスの方も受け入れてらっしゃって。」
「へえ、そりゃあいいや。なあ、カクリ。」
「そうだね。その人とも話してみたいし。」
「あ、でもその方はもう病気で亡くなってしまっていて、今は奥様が一人でやってらっしゃるんです。」
「ああ、そうなんですね。」
「でも、良さそうじゃん。行ってみようぜ。」
「そうだね。」
「アジサイちゃん、ありがとう。このお礼は必ず。アジサイちゃん、明日か明後日の夜、空いてない?」
「え……あ、明後日の夜なら、空いてます。」
「じゃあ仕事終わりに、ご飯でも。ね!」
「は、はい。」
 テトはアジサイとの約束をちゃっかりと取り付け、二人は雨宿を目指した。

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